「たかが」 の由来

どうにも悔しい時についつい口にしてしまいます。

「たかが~だろ。」

もちろん本当にそれほどのことではないと考えている場合もありますが、実は悔しさ余って・・・そんなこと皆さんにも経験ありますよね。
そんな討論に見事に合致した発言を思い出しました。

それは坂本龍一さんの「たかが電気」発言です。

脱原発の坂本さんのこの発言は大いに物議を醸しました。
もちろん脱原発派の私はリスペクトしますが、世間の反応はいろいろ。
そこには「エネルギーを制する者は日本を、世界を制する」という考え方が付きまとっているようです。

東京電力は神様なのか?私は実際の様々なやり取りからそのように感じずにはいられません。
検査やら図面やらとやってくる社員は、その場でいいことを言いながらもお互いにろくな申し送りをせずに来るたび来るたび同じ説明をさせられます。その対応は中小企業以下。
現場は下請けのため融通が利かず、何事も上の顔色を伺う。
何を言っても自分たちは仕事をもらっているだけだからとただただ頭を下げるだけ。
これでは客にとっての都合のいい回答は得られません。
どうやら彼らは下請けのさらに下で、見積もりの三分の一ほどしかもらっていない雇われ。
文句を言えるはずもありません。
もちろんそういったやり方は土建業にはつきものなのは百も承知。
ですが、私が言いたいのは3・11以降もそういった殿様商売を続けている体質に問題があるのではないかということのようです。
すでに国営企業であり、まだまだ廃炉の見通しも立たない会社が儲けのためだけに再稼働を申請。
その前に企業体質から改める必要性を感じずにはいられません。

我が家にもようやくソーラーが入りました。
もし電気が止まっても昼であれば困ることがありません。
ちなみに一キロワット程度発電していれば、冷暖房を除けばすべての家電を賄うことができます。
更に蓄電池をいれれば、一年を通じてそれほど電気を買う必要もありません。
だから私も声を大きくして「たかが電気」と申し上げておきたい。

■「たかが」の由来

「たかが~ (知れる)」同様の意味として「せいぜい、たかだか」などがあります。
「たかが」は通常平仮名表記で用いられますが、漢字だと「高」と書きます。
これは出来た量を表す「出来高」の「高」と同じ意味なのだそう。
量や程度・レベルの意味の「高」を知ることができる(知れる)で「たかが知れる」となるわけです。
出来高とは過程の上に成り立っていると私は思います。

どれほどとれるかという仮定の下に想定すのは勝手ですがそこには自然というものが大きく影響されるのです。
たとえば作物の出来高は天災に左右されます。例えば流通の世界も天候に左右されます。
ものづくりの出来高には必ず自然が付き物なのです。
もしそれが「想定外の天災」が引き起こした原発事故でも想定をしたのは自然の脅威を忘れた愚かな経営陣の甘い想定からの出来高なわけです。
その代償を利用者に払わせるとなったらまさに本末転倒。
だから私は更に声を大きくしていっそうのこと叫んでしまいたい。

「たかが電気でしょ。」とね。




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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