「三菱」 の由来

財閥といえば?・・・っていうか財閥ってなんですか?
私を含めた若い世代では、こんな疑問に挿げ替えられます。

財閥(ざいばつ)とは、1900年前後に使われ始めた造語で、一族の独占的出資による資本を中心に結合した経営形態のことだそうです。
「富豪の一族」と表現すれば、一番分かり易いようです。
日本の経済史においては、主に「三菱・住友・三井・安田」のことを言います。
現在でも銀行や生命保険などでよく見る名前ですね。
しかし、改めて「財閥」といわれなければ我々にはただの会社としか認識はありません。
その理由は第二次世界大戦1945年に日本が降伏した際に、連合国軍によって財閥が解体されたからなのかもしれません。
裏を返せばそれほど力があり、かつ一極集中していたのでしょう。

この四財閥のうち、今日は「三菱」について調べたいと思います。
三井、安田はおそらく苗字でしょうから・・ 住友は次回・・「三菱」といえば、岩崎弥太郎さんですね。
NHKドラマ「龍馬伝」においては坂本龍馬の幼馴染の腐れ縁といった紹介でその人生を対比しながら役者・香川さんが好演されました。
ドラマの終わりも岩崎弥太郎の死をもって完結します。
龍馬は日本の歴史を動かしますが、その死後岩崎は日本の経済を動かしていくのです。
やり方の違いはあっても二人の心は「明日の日本のため」という意識が強かったものと私は確信します。
そんな二人が同郷であり同じ時代を生きたというのもドラマティックですね。

では「岩崎弥太郎」からどのようにして「三菱」が生まれたのでしょうか。
創業は、ドラマにもあったように土佐藩(今の高知県)が大阪で経営していた「九十九商会」からであります。
それを土佐藩士であった岩崎が個人企業としたのでした。
もちろんすんなりとそんなことができるわけがありません。
明治3年、岩崎が土佐藩の幹部、権少参事に昇格しました。
大阪藩邸の責任者となった事で、九十九商会の単なる監督者から実質的な権力者となります。
歴史も味方します。

明治4年、廃藩置県が起こり、土佐藩がなくなったため、九十九商会の経営を引き受け、事業家となるのでした。
偶然だけでなく岩崎の弛まぬ努力と、先見の明が認められてのことでしょう。
明治5年、九十九商会から三川商会(幹部の川田、石川、中川の三つの川をあて命名)に社名変更しましたが、幹部達の岩崎の顔色を伺うような発言に業を煮やし、独裁経営を宣言します。
そして名前を「三菱商会」とし、海運と商事を中心に事業を展開しました。

なぜに三菱?
それは土佐藩の郷士出(郷士とは身分のこと)の岩崎家の家紋の「三階菱」それと、土佐藩主の山内家家紋「三ツ柏」の組合せからなのだそうです。
独立したにもかかわらず、殿様を立てるというのは当時だからなのか忠義心からなのかそれとも商売をしやすくしたかったからなのか・・ 偶然「三」がだぶったから??
ちなみに当時からマークは現在同様、「スリーダイヤ」だったそうです。
九十九商会の船旗号として三角菱のマークが、用いられておりました。
(マークについてはなおのこと、三ツ柏より)
現在でも引き継がれている言葉があるそうです。

「三菱は岩崎家一個のものではなく、国家社会のための三菱である」

いつまでもその心を大切にしてもらいたいですね。




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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