「城(しろ)」 の由来

城(しろ)とは、敵に攻め込まれた際の防衛拠点として設けられた構造物のこと。
男なら誰でも興味はあるはず!とは私の思い込みでしょうか?
私は小さい頃から非常に興味がありました。
チャンバラごっこ(死語?)の延長から歴史などに興味を持ち、学校で社会の授業でならった歴史から好きな戦国武将ができます。
私は上杉謙信でした。
そして戦略や生き様などを調べるために現地に赴きたくなります。
しかし、剣や鎧甲冑などではいまいち気分が盛り上がらないのです。
想像・妄想が膨らまないのです。
そこで「男」は城を目指します。できれば実際に中に入れる場所。
さらに欲を言えば天守閣まで登り、己の平定した領土を見渡すのです。
数百年前同じ景色をその城の主は見ていたのです。
そうやって皆、大人に男になっていく・・はずです。

私のお勧めの城をご披露しましょう。
宮城県白石市の白石城です。
仙台藩の伊達氏の支城で明治初頭の廃城令により廃城処分となりましたが、1995年に木造で復元され、現在は公園となっています。
散策しましたがなかなかの見ごたえです。
是非お見知りおきを。

城の由来

現在では「城」という字を訓読みで「しろ」と読みますが、かつては「しろ」という大和言葉は存在しなかったという意見があるのだそうです。
古代から中世初期までは、「城」のほかに「柵」という字も用いていたようで、ともに「き」と呼ばれていたのでした。
たとえば、大宰府のそばにある大野城は「おおののき」であり、山形県の出羽柵は“いではのき”でありました。
しかし、延暦13年(794年)11月15日に「やましろ」と訓じられていた山背国が山城国に改名されると、「山城」という語を「やましろ」と読むようになります。
その後、山に城を造って領国を守る時代が訪れ、中世後期には「城」は「しろ」と読まれるようになったのでした。
文明6年(1474年)の『文明本節用集』には、「城」に“シロ”の訓がある。

なぜ城は少ないのか

最後に私の素朴な疑問。なぜ城は少ないのか。
戦国時代などには各地の大名がそれぞれの城を、将軍にでもなろうなら、一人でいくつもの城を構えていたのです。
全国津々浦々相当数があったはず。
なのに現存するものは限られています。それはなぜなのか。
それは明治時代1873年(明治6年)に布告された廃城令というものによるのだそうです。
破却や管理放棄に伴う焼失、更には大日本帝国陸軍による資材の接収による崩壊などが進んだのでした。
城跡には引き続き役所が置かれたり、新たに公園や神社が設置されたことが多かったようですが、主要都市ではほぼすべての城跡に大日本帝国陸軍が駐屯しました。
それら駐屯地となった城跡は、太平洋戦争(大東亜戦争)中に米軍の標的とされ、空襲や原子爆弾等により、名古屋城、岡山城、和歌山城、広島城などの戦前に国宝(現在の重要文化財に相当)として指定されていた天守や櫓、門など、多くの現存していた江戸時代以前の城郭建築が損失してしまったのです。
なんてもったいないことを・・とはいえそれも歴史ですね。
確かに馬で移動していた時代では、「おお なんと大きい!こんなしろ攻略できるのだろうか?」だったのでしょうが、飛行機から見れば「ああ。あれが攻撃の目標〇〇城だ。」となるわけです。

にしても想像・妄想は膨らみます。
この見える景色はすべて私のものだ。このすべてはワシのものだ。
そんな気持ちに浸れるのが城なんです。
でも天守閣に上ると少し考えます。ちょいと生活は不便かな。
高層ビルと違い、夏はエアコンがないので暑そう。
エレベーターがないので移動はもちろん階段。
自分の足で登らなければなりません。
あんまり書くと夢やロマンなくなるのでこのへんで・・・




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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