由来メモ

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「BUCK-TICK」の由来

BOφWYを調べていたら面白いことに気付きました。
もちろんコアなファンの皆さんにとっては周知の事実でしょう。
今日取り上げるバンド「BUCK-TICK」は「BOφWY」と同じ群馬県の出身だったのです。
学生の頃、周りで人気を二分していた二つのバンドに意外な共通項があったことを知り、調べてみたくなりました。
皆さんはご存知でしたか?

BUCK-TICKは、ギター、コーラスの今井寿さん、ボーカルの桜井敦司さん、ギター、キーボード、コーラスの星野英彦さん、ベースの樋口豊さんの4人の藤岡高校出身者と前橋育英出身でドラムのヤガミトールさん五人編成のバンドです。
元々は1984年にヤガミさん以外のメンバーと前任のボーカリストで結成された「非難GO-GO」というバンドが前身。
1985年に現メンバーでBUCK-TICKを結成し、インディーズ活動経由で1987年にメジャーデビューを果たします。

■「BUCK-TICK」の由来

バンド名については1984年の夏に「BUCK-TICK」に改名されました。
「華があって、過激で誰もが覚えやすい名前」ということで、今井寿さんが命名したとのこと。
前の「非難GO-GO」からは想像できない垢抜け方ですね。
初めて目にした私にもインパクトは絶大でした。
はじけていてロックっぽい。
それでも一度も聴かなかったわけですが。笑

そしてここからが今日の本題となります。BOφWYとの関係性。
実はBOφWYのボーカル氷室京介さんも群馬県の藤岡高校出身者だったのです。
同郷で同校卒、つまり氷室さんはBUCK-TICKメンバー四人の先輩ということになります。
そういった繋がりがあってか、いくつかの面白いエピソードがあるそうです。
1985年頃の話。BOφWYが群馬に帰って来てパーティーを開きました。
その時、氷室さんが当時ドラムだった櫻井敦司さんに、お前は顔がいいからボーカルをやった方がいいとアドバイスしたといいます。
事実その通りになりますが、この事がボーカルへの転向を志願した直接の原因ではないと櫻井さんは後に語っているのだそうです。
櫻井さんが徐々にボーカルとしてフロントに立つ事となり、新しいドラムが必要となりました。
空席となったドラムスは樋口さんの誘いにより、樋口の実兄であるヤガミトールさんが加入することになりました。
そのヤガミさんとBOφWYの間にもエピソードがあるそうで、氷室さんの免許更新に同伴して群馬に行ったBOφWYのドラム高橋さん。
当時まだアマチュアだったBUCK-TICKのヤガミさんに焼肉をおごってもらう代わりに、彼の自宅でドラムを2時間叩いてみせたと言います。
プロがアマチュアに奢ってもらうというのも面白い話。
しかし当時は2人のレベルが違いすぎた為、ヤガミさんは「いつも使っているドラムセットなのに、何故こんな音が出るのか全くわからなかった」のだそう。
それでも貴重な体験だったという事実は揺るぎようの無いものでしょうね。

私は二つのバンドをほとんど知らずに育ってきたのですが、そんなエピソードを知ったら色々な思いを巡らせつつ比較しながら聴いてみたいと思いました。
当時は音楽を聴いたのではなく、ビジュアルに興味が持てなかったのではなくその音楽はそういう格好が好きな人、そういった服装がしたい人が聴くものという先入観がありました。
今なら一つの音楽として聴けそうです。

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投稿者 としお カテゴリ 歌手・バンド コメントなし

「BOØWY(ボーイ)」の由来

中学生の頃ってちょうどそれぞれの進路が決まってくる時期です。
といってもそれは、進学とか就職とかそういったものではなくてアイドルが好きとかバイクに乗りたいとか卓球部に入るとかなんていうかそう、それぞれのキャラクター、立ち位置ってやつです。
自分の場合は目標もないのにとりあえず進学することが第一にあり、更にやりたくも無いのにスポーツが得意だったためいくつか掛け持ちでやらされていたことでそういった文化から完全に取り残されていました。
いざ、部活が終わると何をしていいのかわからず、プロレスに行ってみたりオシャレをかじってみたりしたわけですが中々しっくりこなかったものです。

一番理解に苦しんだのが不良グループ。今で言うヤンキーの皆さん。
単車とか煙草とか喧嘩とか自分はどれも興味がありませんでした。
そんな皆さんが崇拝していた音楽がBOØWY。
もちろん私はこちらも興味がなかったので名前くらいしか知りませんでした。

●BOØWY(ボウイ)は日本のロックバンドです。当たり前か。
1980年代に活躍。1981年結成、1988年解散。
群馬県高崎市出身の氷室京介さん、布袋寅泰さん、松井恒松さんを中心に結成されました。
初ライブ後に高橋まことさんが加入し、1982年にデビューします。
当初は6人編成だったそうですが、同年の秋に2人が脱退。
その後は解散まで4人編成で活動しました。
特徴は8ビートを基調としポップでありながらもシャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンド。
ジャン=ポール・ゴルチエをステージ衣装に採用したり当時としては斬新な逆立てたヘアースタイルなど、ビジュアルでも多くの支持を集めたようです。

また「誰にも似ない」「何処にも属さない」というバンドスタイルやメディアをほとんど利用しない強気な姿勢が逆に功を奏し後のバンドブームに多大な影響を与えたようです。
絶頂期での解散ということも伝説的な扱いを受ける理由の一つなのでしょう。

■「BOØWY」の由来

ボーカルの氷室さんは、BOØWY結成以前は、レコード会社の意向によりスピニッヂ・パワーというバンドののボーカルとしてデビューしました。
が、音楽性の違いから脱退。
同時に付き合っていた彼女とも別れてしまい、音楽の道を諦め帰郷する決意をしました。
最後のつもりで立ち寄った日比谷野外音楽堂でのRCサクセションのライブ。
そこで受けた衝撃の勢いそのままに一念発起したのです。
群馬時代のライバルであった布袋さんのもとへ連絡を入れます。
六本木アマンドの前で再会。
同郷のライバル同士ではありましたが当時の2人の間にそれほど面識はなかったので布袋さんは、てっきり群馬から東京に出てきてチャラチャラした生活をしている自分を知った氷室さんが殴りにきたのではないかと思ったといいます。

再会してみると群馬時代は硬派だった氷室の風貌がニューウェイブ風に変化していたので驚いたというのが第一印象。
そこでバンドへの誘いを受けるわけですが、殴られると思って呼び出された布袋さん。
「地元でも有名な不良少年の氷室さんが怖くて誘いを断りきれなかった」と後に半分ネタとして語っているそうです。
そうして結成されたわけですが、その名前の由来は・・・

関係者の誰かが「男だけだからボーイってのはどう?」で始まったと言います。
「デビットボーイもいるし、いいかもね」同調するメンバー。
ちなみに氷室さんは、どうでもいいから他人にお任せだったよう。。
「ボーイ」と読めるアルファベットが紙に何種類か書き出されました。
そこに「Ø」を入れたかった布袋さんの意見が取り入れられ、「BOØWY」に決定したとのことです。

ところが!
当時ありがちな「事務所の意向」が働いたのか・・・
所属事務所ビーイングのスタッフにより「暴威」という印刷が上がってきたのでした。
デビューの時には「BOØWY」となりことなきを得ましたが、さすがにその名前ではブレイクしなかった気がするのは私だけでしょうか?
他にも候補として「群馬暴威」と言うものもあったのだそうです。
更にダサい感じがしますがジャニーズならありそうな気も・・・

●エピソードいっぱい

氷室さんはバンドを結成した当初は、英会話教材のセールスマンをしていたらしい。
意外にも営業成績も優秀だったといいます。人は見かけによらない?
車の誘導のアルバイトでは車をぶつけ、パチンコ屋では台を壊し、ゲームセンターでは出勤3日目には先輩を見切り一日中ゲームをしていたとか。
これはそれっぽいですね。
氷室さんの芸名の由来は、漫画「ワル」の主人公からで初期は「狂介」でしたが京都の占い師に「“狂”という文字は絶対に使ってはいけません」と言われ、現在の「京介」に改名。
その後売れたため、もう占いをしないと決めたのだとか。
氷室さんはまったく酒が飲めず、専らコーラか飲む時でもカルーア・ミルク。
本当でしょうか?

一方布袋さんは酒に強いため、ライブハウス時代に他バンドの打ち上げの席でBOØWYを宣伝する広報係を担当していたらしい。
体の大きさそのままにラッパ飲みしそうですよね。
布袋さんは喫茶店のアルバイトの面接に行った際「背が高すぎる」という理由だけで不採用になったことがあるとか。
本当にそんなことあるんですね。
夜中に酒屋の脇に積んであるビンを頂戴し、翌日何食わぬ顔でそれを売りに行って小銭を稼いでたという武勇伝も。
などなど・・・最近のバンドマンにはありがちな話ばかりかもしれませんが時はバンドブームの走りであった時代。
そういった全てが我々の世代に新鮮に映ったのではないでしょうか。
全ての不良少年の憧れになっていったのでしょう。

そんな事実を私は今知りました。笑

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投稿者 としお カテゴリ 歌手・バンド コメントなし

「ねぎま」の由来

覆されました。知りませんでした。
「ねぎま」といったらやはり頭に浮かぶのは焼き鳥ですよね。
ネギと鶏肉を交互に串に刺して焼いたものであり、焼き鳥の種類のいくつかの名前と見比べるとその名前は、きっと、ネギの間にメインである鳥肉があるからと想像するのが普通ではないだろうか。

ところがその名前の由来を調べてみると、
「ねぎま」はもちろん「ねぎ」と「ま」ではあるのだが、ネギとマグロ(鮪)であるという説が正しいというのである。(漢字はもちろん「葱鮪」と書くらしい)
本来はネギとマグロを交互に串に刺したものだというのである。
スタイルとしては現在の「ねぎま」と同じ。
例えばすし屋のメニューである「ねぎとろ」が「ねぎ」と「とろ」であることと同じように、「ねぎ」と「まぐろ」と考えるというのだ。
そんな串焼き想像できないよ・・・と思ったら、焼きマグロではなく、鍋料理とのこと。
醤油や酒で味付けをした鍋に「ねぎま」を入れて煮る。
もしくは、マグロのぶつ切りをネギの小口切りといっしょに醤油味の汁で煮る。
それをマグロではなく鶏肉を代用して真似たものが、焼き鳥の「ネギマ」となる。
そんな余計なことを言い出すから、ネギマ論争ってやつが、
焼き鳥やなどでしばしば巻き起こるらしい。

私は焼き鳥が大好きである。
やはり、「かしわ」や「もも」。定番だからどこでもハズレが無い。
たまには皮もいい。歯ごたえがたまらない。
「手羽先」も味がいい。地域によっては真っ先にたのむ。
「つくね」も捨てがたい。「ハツ」や「レバー」もしかり。
でも一番はやはり「ねぎま」だろうな。
肉がさっぱりする。タレとの相性も絶妙だ。こげた匂いも香ばしい。
あれは最高の組み合わせだと思う。というか思ってきた。
ところが本来は「ねぎ」と「まぐろ」だと言う。ちょっとショックだ。
これは何だか解せない。納得もできない。
誰でもいいから焼き鳥屋で議論をふっかけたい気分である。


焼き鳥屋さんの「とりネギマ(25g×50本)」


ジャンボねぎま焼き鳥(醤油味)


投稿者 としお カテゴリ 食べ物 コメントなし

「鉄拳(芸人)」の由来

鉄拳さんは、吉本興業所属のお笑い芸人であります。
プロレスラーから劇団俳優を経てお笑い芸人という異色の経歴の持ち主。
得意のイラストを活かしてスケッチブックを持ち、80年代のアニメや漫画をテーマに「こんな○○はいやだ」といっためくり芸を得意とします。
ブラックユーモアが多く作品のキャラクターが首をつったイラストはお約束のオチ。
そして滑舌が悪いのもお約束!?

鉄拳という芸名の由来は、同名のゲーム鉄拳からきているのだそうです。
逆モヒカンの髪型はゲーム鉄拳のキャラクター三島平八を意識し、顔のメイクはデーモン小暮閣下ではなく、プロレスラーのロード・ウォリアーズを意識してとのこと。(アメリカの有名な兄弟レスラー)ゲームのファンで、プロレスもかじったことのある(もちろん観戦だけですよ)コアなファンの私には納得のキャラですが、その安易さが飽きられてか最近はテレビでその姿を見ることはありませんでした。
ところが、最近あることで再び脚光を浴びているというのです。

●「振り子」

朝のテレビ番組でのことでした。
片手間に見ていた私はその手を止めて完全に見入ってしまいました。
それはパラパラ漫画で、タイトルは「振り子」。

曲がったことが大嫌いな正義感の強い一人の男が、不良に絡まれていた一人の少女を助けるのでした。
好意を寄せる彼女を最初は拒絶していましたが次第にその距離を縮めて高校卒業後、彼女と一つ屋根の下で暮らし始めます。
彼の夢であるオートバイ屋の資金稼ぎのために彼女は結婚式も諦め、彼の夢を支えるのでした。
そんな彼女が唯一望んだ物は、振り子時計でした。
これからの二人を見守るように振り子時計はゆっくりと確かにその時を刻みます。
夢は実現され、彼はオートバイ屋の店主となりました。
順風満帆、彼女との幸せな日々が続き、一女を授かります。
しかし、現実は厳しく彼は資金繰りに悩まされ、バイク屋を畳まざるを得なくなります。
彼は現実逃避するように酒におぼれ、妻に暴力を奮うのでした。。。

続きは動画で

時を止めようと、時を取り戻そうと必死に振り子にしがみつく彼に私は涙しました。
格闘家出身という異色の経歴に照らし合わせ、「気は優しくて力持ち」というあるべき男性像を思い出さずにはいられませんでした。


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こんな○○は××だ!―鉄拳作品集

投稿者 としお カテゴリ 人名,芸能人 コメントなし

「SOS(エスオーエス) 」の由来

万一自分がピンチの時、例えば山で遭難したとしましょう。
ヘリコプター等で見つけてもらうためにあなたはどうしますか?
おそらく広場に出ることでしょう。
そして地面に棒やら石やらといったもので「SOS」と書くわけですが、特に「S」とか、難しくはないですか。
もちろん日本語で「助けて!」と書くよりも英語で「ヘルプ、ミ~」と書くよりかは簡単ですが、曲線とは意外に難しいものです。

「SOS」って何なのでしょうね。

■「SOS」の由来

由来はどこから来ているのかを調べてみると、それはモールス信号の「S、O、S」からだと言います。
Sのモールス符号は・・・、Oは---とのことなので、「 ・・・ --- ・・・ 」となり、非常時にも打ちやすく、他の通信と間違われないものということで決められたのだそうです。
SOSを最初に打ったのは、皆さん御存知の豪華客船タイタニック号といわれています。
これはちょっと驚きですね。
おかげさまで想像するのは簡単です。

1912年に起こったこの海難事故以来、このSOSは、受信した場合あらゆるものを差し置いても救助にあたらなければならないという最優先の緊急信号となりました。
SOSは「Save Our Souls」の略だとも言われていますが、後で考えられた語呂合わせだそうです。
確かに略すの大好き我々日本人にはこちらのほうがしっくりきますが真実は違っているようです。
1912年に国際条約として決まるまでには、SSSDDDやSOEといった信号にしようという提案もありました。

あれから・・・タイタニック号の事件から100年以上の月日が流れています。
しかし我々人類は、それほど進歩をしていないようです。
というかどちらかと言えば退化のようにも見えるし、文明の驕りなのかもしれません。
イタリア中部ジリオ島沖で大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号」が座礁、浸水する事故が起きたのは我々の記憶にまだ新しいところです。
通常航路を大きく外れ、島に異常接近した際に起き、11人が死亡、多数が行方不明となりました。
船内では衝突時、「ドスン」というごう音が響き、地震のような衝撃が伝わったといいます。
船員は衝撃の直後、機関室に大量の海水が流入したという事実を船長に報告しましたが船長は「技術的な問題にすぎない」「停電にすぎない」などと、重大事故の発生を隠そうとするかのような電話連絡をしていました。
初動の遅れは乗客約3200人にパニックをもたらし、救命ボートを下ろす作業も遅れ、待ちきれず海に飛び込む乗客も。
避難誘導よりも自身の脱出を優先させたフランチェスコ・スケッティーノ船長(52)は、ほぼ横倒しとなった船を望む島の岩場から、港湾当局者に携帯電話で話しをしていたことが後日判明します。
事故発生から、わずか約3時間後のことでした。

港湾当局の係員が「船に戻ってほしい」「家に帰りたいとでもいうのか」などと迫ると、船長は「大丈夫だ。戻る」と答えていたが、船に戻ることはありませんでした。
こういった報道を目にすると緊急時のあり方というものを考えさせられますね。
「SOS」以前に人が嘘をつくという人災によって多くの命が奪われていくのです。
ミスは誰にでもありますが、間違えた後の初動に人としての在り方が問われます。

ちなみに船長の刑期は禁錮2697年にのぼるとも言われているそうです。

<内訳>
故意による殺人罪で15年
客船を座礁させた罪で10年
船長が船から避難してしまった際に取り残された乗客300人に対する責任として、1人につき8年で2400年
34人に及ぶとみられる死者に対する責任として、1人につき8年で272年
ついでに余罪・船長の愛人が同船に乗っていた件・・・ 

「SOS」はなるべく簡単に相手に自分達の非常事態を知らせる暗号として確立しました。
通信技術の乏しかった時代の知恵とも言えます。
このことを肝に据えて二度と同じような事件事故は起こさないようにして欲しいものですね。


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これからのロープレスキュー (イカロス・ムック)


投稿者 としお カテゴリ 災害,状態,行動 コメントなし