由来メモ

Archive for the 'ファッション' Category

「サルエルパンツ」の由来

ファッションには昔から興味がありましたが、年齢と共に年々その興味は薄れてきます。
若かりし日の自分の格好を今みたら、その時の周りの反応と同じように冷ややかな目で見るかもしれません。
よくもそんな頭の色にできたもんだ。
そんなブリブリのコートどこで売ってたんだ?
その靴は大きすぎるんじゃないか?
若者の文化とは常人に理解できない場所を見つけては進む傾向があるので、それはたぶん「大人になりたくない」ピーターパンの生き方にも似ているのではないかと今だからおもったりもできます。
誰でも通る道であり通らなければならない道でもあり、その時をのがすと後では絶対できないし、きっと後悔することでしょう。
だから私は、理解出来ない若者の格好をみてもあえてエールを送りたいと思います。

■「サルエルパンツ」って

全く理解できないものの一つがサルエルパンツですね。
最近まで実はサムエルパンツだと思っていました。
きっと有名なダンサーのサムエルさんか何かが(頭の中ではMCハマー)踊るときに穿いていたものだろうといったくらい。
しかしまぁ今の歳では絶対穿けないから蚊帳の外で、そのうち廃れるのかなと見ているといつの間にか定番アイテムの一つのように扱われているじゃないですか。
これは調べなくてはなりません!

股下が深く、股下からヒザにかけてダボッとゆとりがあり、ヒザから足首にかけてキュッと細く絞られているのが特徴。
立体裁断だからシルエットがキレイと言うのも人気の一つのようです。
ヒザ上がダボッとしたゆるゆる感が動きやすく、ヒザ下がキュッとしたシルエットがカッコいいというのが実際に着用する方々の感想のようです。。
もちろん私は穿いたことがないから理解できないです。
穿きやすい、動きやすいという点からもしかしたらダンスなどに用いられるのかもしれないですね。(やっぱりMCハマーのイメージ)

サルエルパンツの代表といえば「FRAPBOIS(フラボア)」(デザイナー宇津木えりさんが2001年に立ち上げたファッションブランド)というブランドだそうですが、現在では様々なブランドで(ギャルソン、リーバイスレッド、イーハイフンなどなど)続々とオリジナルのサルエルパンツが登場しています。
愛好者は男女年齢を問わず存在しており、最近はベビーのサルエルパンツまで登場しているようです。

■「サルエルパンツ」の由来

サルエルパンツは、もともとはイスラム文化圏の民族衣装なのだそうです。
パジャーマに通じるものがありますね。
エスニックの流行とともに1977年にパリコレクションで登場ファッションアイテムとして認識されるようになりました。
そんなに古い歴史があったとは知りませんでした。
股の部分がおしめのようにつながった下体衣を「サルール」と呼ぶそうで、これをモチーフにデザインされたパンツが、そこからサルエル・パンツとして呼ばれるようになったのが最初なのだそうです。
つまり赤ちゃんに穿かせるのが正式な用い方?(笑)

未だ未着用にあなたへの注意点を見つけました。

(1)ズボンを下げているのではなく股下が深い事を理解しましょう。
(2)走る時、運動する時に気をつけましょう

そういえばズボンをずり下げてパンツを見せるスタイルがありましたね。
あのスタイルがワンクッションだったのかもしれません。
アレって日本人のコンプレックスだと聞いたことがあります。
足の短いのを隠す為にパンツを下げ、足が太いのを隠す為にルーズな靴下を履く。
あれがあってのサルエルパンツなら理にかなっています。
ブームも納得ですね。

そして「運動するときには気をつけよう」
ということは、実際に穿くと動きづらい?もちろん自ら検証する機会は永遠にこないでしょう。


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投稿者 としお カテゴリ ファッション,洋服 コメントなし

「PARCO (パルコ)」の由来

昔はここで買い物すれば間違いないという感覚がありました。
というのもカジュアルからフォーマルまでカバーできて、流行にも敏感なので間違いがなく、学生などにとっては伊勢丹などより価格の面でも安心感があったからです。
今日は「パルコ」について。

「パルコ」といえば、やはり渋谷のパルコですよね。
「PART-1」から「PART3」「Quattro」「ZEROGATE」「STUDIO PARCO」などファッションから飲食、ライブハウス、劇場、ラジオの生放送と一大文化圏を形成しています。
私は昔イベント関係のバイトをしていたので、いくつかの施設には大変なじみが深く、たくさんの思い出があります。
そのせいでしょうか、大分、松本、宇都宮など地方へ行ってもパルコを見つけると立ち寄る癖があり、不思議な満足感を味わうのです。
その地方のオシャレを満喫したといった充実感もそこには含まれます。。

■「PARCO (パルコ)」の歴史

パルコは、もともとは今のような百貨店業ではなく、池袋のステーションビルを運営する会社として設立されたのだそうです。
丸物百貨店との資本提携を機に百貨店業へと業態を転換します。
その為、会社名も「東京丸物」を名乗っていました。
資本提携以後、「東京丸物」の名前で百貨店を営業してきましたが、違うコンセプトの百貨店のオープンを目指します。
1969年(昭和44年)、業績低迷を理由に丸物が撤退し、西武百貨店の資本参加を仰ぐことになると、池袋にパルコをオープンさせるのでした。
池袋パルコの成功により、社名も「パルコ」に変更。
渋谷、札幌、岐阜、千葉、大分と全国にオープンさせていくのでした。
現在では全国に21店舗を展開しています。
渋谷については、坂に囲まれた複雑な地形にあることなどから商業集積地に適さないと予想され、渋谷進出を危惧する声も多かったのだそうです。
そうした予測に反しパルコは若者カルチャーやアートとクロスオーバーさせた斬新な展開で挑み、大きな反響を呼びました。
以前は西武百貨店を中核としたセゾングループの一角を成していましたが、現在では森トラストグループとなっています。

■「PARCO (パルコ)」の由来

「パルコ」の由来はイタリア語の「parco(公園、広場)」からきているのだそうです。
人々が集い時間と空間を共有し楽しんだりくつろいだりする場所(空間)という意味を持つのだそう。
渋谷店に関して言えば公園通りに面し、代々木公園が近いことから名前の由来に関係あるのでは?という噂もありますが、一号店が池袋ということでその可能性は薄いようですね。

公園のイメージといえば?
ゆっくりできる。寛げる。遊べる。楽しめる。様々なイベントが催されるなどなど・・・
私の知る渋谷パルコはまさに若者の公園だった気がします。
最近は行ってませんね。この年だと入りづらい気もします。
もう西武や伊勢丹の世代になってしまいました。
なんだか少しだけ寂しい気分です。


なぜ賢い人も流行にはまるのか―ファッドの社会心理学


流行と日本人―若者の購買行動とファッション・マーケティング


投稿者 としお カテゴリ お店,ファッション,会社名・企業名 コメントなし

「タンクトップ」の由来

夏の暑い日に、公園のベンチにおじいちゃんと孫娘が座っていた。
「今日はじぃじとお揃いだね。」嬉しそうにおじいちゃんが話しかけた。
これも時代なのか、おじいちゃん(英語ではグランパ)は「じぃじ」が通例らしい。
最近の傾向として民衆はNHKのドラマなどの方言のいいところを取り入れるらしい。
もちろんいいやすい、愛嬌がある、親しみやすいといった基本条件をクリアしてのものだが。
最近はおにいちゃんも「にぃに」らしい。でも「ねぇね」は聞かない。
本土のハードルは低いのか高いのかは沖縄のヒトには理解できないだろう。

話がそれたが、話しかけられた女の子が答えた。
「一緒にしないでよ。じぃじのはタンクトップ。私のはキャミソール!」
小学校に上がる頃から女の子は「おませ」の傾向が見え隠れする。
言葉を間違えると、身内でもピシャットやられるらしい。
私からみれば「おじぃちゃん」だけにどちらかといえば「ランニング」ではなかろうか。
とそちらに目をやりながら考えた。そもそも「ランニング」と「タンクトップ」の違いは?

「ランニング」と「タンクトップ」違いはあるの?

もちろん私はまだ若い部類なので、ランニングとは言いたくない。
ランニングはおそらく駅伝やマラソンのスタイルから来ているのであろう。
でもそれだけでなぜか「じじくさい」雰囲気が出てしまうのが不思議でもある。
だは自分はいつから「タンクトップ」を使い出したのだろうか。
そうだあれはまだ上下関係の厳しかった中学校のとき。
ジャージの腕をまくっただけで先輩に呼び出されていた時代だった。
二年生でまだ上級生はいたが、旅行などの特別な日は特別ルールが適用される。
その日に向けて色々な物を新調するんだけど、その時はヤンキーが主流だったから我ら下っ端もその道の先駆者が求めるものが「かっこいい」と思い込んでいた。
学生シャツは綿のシャツ。
靴はスニーカーから革靴。
今思えば可愛らしいことをやっていたなと笑い話なんだけど、その時は真剣で、置いてけぼりをくらわないように必死だった。
そのアイテムの一つが「タンクトップ」だったんだ。
夏祭りに出かける必須アイテム。
これを着ると「粋がれる」 ぷぷっ。
なんだか笑えてきた。どんだけ田舎なんだろ。
だってじぃちゃんが野良着できているランニングと一緒じゃない。
ただ紫とか蛍光の黄色とかとても今じゃ着れない原色なだけでね。

では二つに違いはあるのかと調べてみたら、ランニングシャツは{running+shirts}で袖なしで襟ぐりの深いシャツ。
運動着や肌着として用いられるもの。

タンクトップは{tank top}でランニングシャツに似た、首と腕とが大きく露出する形の女性用の上着。

ということで、形は同じであるがタンクトップのルーツは「女性用」というのが分かれ目のようである。
また肌着や運動着と区別するため、普段着や出かける時に着るのを「タンクトップ」としているのではないかという意見もある。
テレビ番組での調査では30代が分かれ目で呼び名が変わるようだ。
私も数年で親父の仲間入りだな。
またこの違いは女性のスリップとキャミソールにも見られるんだって。

タンクトップの由来

タンクトップの由来は、そのまんま英語の「tank top」からだそう。
20世紀初頭に競泳用の水着として「タンクスーツ」というのがあったんだって。
その上部(トップ)に似ていたことから、「タンクトップ」と名付けられた。
タンクは水やガスを貯めるものを表す言葉であるのは我々日本人でも理解は易しい。
ガスタンク、ポリタンク・・タンクトップはあれと一緒なのか・・
だから 「タンクスーツ」でいう「タンク」は「プール」であるのかもしれない。
更に日本での歴史を調べたら1970年代に流行したという事実を見つけた。
つまり、ヤンキーの先駆者たちは流行の最先端を取り入れていたんだ!
驚いた。
ヤンキーはオシャレである。見直したぜぃ。

投稿者 としお カテゴリ ファッション コメントなし

「パンティ」の由来

いつ頃から意識しだしたのだろうか。
いつ頃から女性は移行するのだろうか。
いつ頃からチラッとして男がドキドキしてしまうのだろうか。
なぜあんなに小さいのにあそこまでたくさん収まるのだろうか。
なぞ多き三角地帯。
今日の話題は「パンティ」さん。

男の下着といえば、ブリーフにトランクス、ボクサーブリーフにブーメランとその形で多種が確認できますが、女性のものとなると、「パンティ」さんしかないって何だか不思議ですね。
もちろん西洋から入ってきたことには間違いないでしょう。
日本では昔は、腰巻?だったかなぁ。
自分で書きながら腰巻ってなんでしょうね。実物はもちろん見たことありませんが、なんとなくおばぁちゃんが「腰巻」って言っていた気がします。
調べてみると、確かに腰に巻く布状の下着と書かれていますが、江戸時代以前の高級武家女性の夏の正装との情報もありました。
腰の位置で打掛を紐で結び、上半身は脱いだ軽装のことのようです。
着物の下着である腰巻の始まりは、中世以降の1220年代からです。
中世の女性が裳を形式化、肌袴を脱いだことから始まります。
ちなみにそれ以前の女性は、裳という衣装を着用し、その下に肌袴と呼ばれるものを着用していたらしい。
しかし、高温多湿である日本の気候から、裳袴着用が不愉快であるとされ女性は肌袴を着用しなくなったそうです。
内緒の話・・裳という衣装は、下紐を解かなくては性行為に及ぶことが出来ず、陰部は覆われている状態であり、そのことも因果関係があるとかないのか。
裳を着用しなくなった女性の衣装は着流しという形が主流となります。(事も簡単です)
その下に着用することで登場するのが、湯巻や腰巻であります。
腰巻には、下着としての腰巻と入浴のときに用いる衣服としての二つの種類があったそうです。
更に腰巻と同義として、湯文字(ゆもじ)、裾除け(すそよけ)という言葉がみつかりました。
どちらも始めて聞きましたが、奥ゆかしく日本らしいネーミングですね。

それに比べると、例えば「ズロース」。
これはおばちゃんが穿くルーズさが表現されているようです。
「ズロース」についてもう少し触れると、これも下着の一種だそうで本国ではドロワーズ、ドロワース、ドロワとも呼ばれるそうです。
ズロースというのは、日本の近代化運動の文明開化による洋装の流入によって日本に入ってきた「立体型の陰部を覆う下穿き」であります。
ズロースを初めて着用したのは、岩倉特命大使に同行した日本最初の女子留学生なのだそうです。
しかしズロースというのは、現在私たちが着用している下穿きではないですよね。
では現在主流のパンティはどのような歴史を持つのでしょうか。

1950年代に下着ブームと呼ばれる時代が到来しました。
戦後しばらくは、ただでさえ物がなかったので外側の洋服にだけ気を使うのが精一杯でしたが、昭和30年ごろになって、ようやく下着にも関心が向けられるようになりました。
経済的なゆとりがうまれたのでしょう。
下着ショーが盛んに開催され、デパートでも売り場が拡大されるようになりました。
当初は、メーカー製のパンツが玄人の下着であり、一般の女性が着用するのは「浮気用・性愛用」であるという認識が強かったそうです。
本来見えないものにお金をかけるのだからそうとられても仕方がないのでしょう。
さすがにすぐには浸透しなかったようです。
1955年鴨居羊子さんが「スキャンティ」と呼ばれるパンツを考案しました。
このパンツは今までのパンツより股上が極端に短く、必要な部分だけ覆うものや前方に穴の開いたもので、世間を騒がせ、下着ブームに拍車をかけたのでした。
合理性なのかデザインだったのか。
そこから下着革命が起こり様々なものが売り出されます。
白が主流であったのが色物下着が流行し、更に紙パンティなども出現したのでした。
色なら特に問題はありませんが、紙パンティにおいては使用法がわからずそのままデパートのトイレに流してしまい詰まる事件が多発したそうです。
トラブルも含めて話題となった「縮小化されたパンツ」の普及に一役買ったのが、ミニ・スカートとパンティ・ストッキングの流行でありました。
私もほんのりミニ・スカートには記憶があります。
1967年に日本に来日したツイギーが着用し、日本に旋風を巻き起こした事件でしたね。
それまでの大きなパンツでは、パンツの下端が日常的に露出してしまうという根本的理由から、股ぐりを深くした小さなパンティの需要が増大したのでした。
更に後押ししたのはパンティストッキングの登場でした。
ガーターベルトをつけなくてもよいことや、保温効果があるという理由から飛ぶように売れました。
こうしてミニ・スカートの流行とパンティ・ストッキングの普及が「小さなパンティ」を支えたのでした。
こうして「パンティ」が日本で市民権を得たのです。

「パンティ」の由来

パンティは英語において女性用ショーツタイプのパンツの名称として、男性用と区別する目的からできたものでした。
「パンツの小さいもの」という意味で、pants に「愛らしい」の意味の y(ie) がついて panties となったのだそうです。
日本語に訳してみたなら「おパンツちゃん」とか「姫猿股」みたいな感じです。
想像に反して和製英語でなかったのが驚きです。
しかし、日本男児にとっては納得がいかないわけです。
なぜかといえば、やっぱりその響きがいやらしいのです。
そのためなのか、最近では「パンティ」が敬遠される傾向にあるそうです。
女子高生がブルセラ店で売る場合も「パンツ」
夜の情事を予感した女性が穿くのは「勝負パンツ」といった具合です。
個人的な意見ですが確かに「パンツ」でいい気がします。
妄想しても「パンティ丸見え」だといやらしく感じますが「パンツ丸見え」と言われるとなんとなく幼児が公園で遊んでいるかのような爽やかさと染み具合を感じます。犯罪率も減少する!!かも。
暴走族を珍走団と呼べば本人達も恥ずかしくてやめるかもって次元の話と若干似ていますね。

投稿者 としお カテゴリ ファッション コメントなし

「カンコー学生服」の由来

学問の神様、菅原道真公について調べていたんです。
学問てことは、頭がいいってことですよね。
私の知るところ昔の人でそれに該当するのは、何人もの話を一挙に聞くことが出来るという聖徳太子さんなわけです。
もちろん言い伝えだから確証はないんですがね。
菅原道真公はそれ以上ってこと??

菅原道真さんプロフィール
承和12年(845年)6月25日生まれ 平安時代
職業・貴族・学者・漢詩人・政治家
この肩書きはすごいですね。
官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
このへんはよくわかりませんが、「太政大臣」ってのは上から3本くらいだった気がします。かなりエライ人なはず。
大宰府へ左遷され現地で没する。
ヘマやらかしたのでしょうか??
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
みんな余程の罪悪感があったのでしょう。

天神とは?

雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられました。
火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとしたのです。
以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられました。
こうして、「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることとなります。
やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い、道真が生前優れた学者・詩人であったことから、
学問の神として信仰されるようになったのでした。後付けだったのですね!めでたしめでたし。

いやまだ終わらないです。

1000年以上前の話でありながら、いくつか興味深いことを見つけたのです。
一つは子孫のお話。
そこには、前田利家、大隈重信、菅直人と時代時代の主役の名前が記されていたんです。
もちろん、「血を引く」というのは一代前でもその単純濃度は50パーセント、三代前なら12・5パーセント。
しかも菅原道真公は子沢山だったようなので、現代までくると100年で3代と数えても30代以上。
その縁者の総数も1000いや一万はゆうに超えていると考えられます。
また今の総理大臣が血を引いてるってのも・・・ちょいとできすぎな気もしますが。 笑
まぁそれでも子孫も優秀なのでしょう。それに昔は同等の身分で縁組したので、自然に優秀な遺伝子が集まってきていたのかも知れません。

そしてもう一つが遅ればせながら本題。

カンコー学生服。

菅原道真公と何の関係が?
誰しも一度はお世話になる(毎日着ることになる)学生服。
皆さんはどこの会社のものを着用していましたか?
私はまさにこのカンコー学生服でした。
これは実は「カンコー(菅公)学生服」と書くのだそうです。
学問の神様として親しまれ、勉学に励む人の象徴的存在である道真公(菅はオン読み)にちなんで名付けられたそうなんです。
もちろん当時、「菅公」が同様の学生服を着ていたなんてことはありません。
でもそこには、着用した子供たち、児童、学生さんの学問への願いが込められているのです。

余談ですが、文具メーカーにも菅公工業(かんこうこうぎょう)という会社があるそうです。
こちらも同様の由来ですが、二つの会社に関連はありません。
カタカナで表記されると、それほどピンときませんが、漢字をみれば一目瞭然!なのかもしれません。
その昔、怨霊として崇められていた人物の名が、現代では堂々と衣服に掲げられている。
なんだか不思議な気分です。
もしかしたらそれもご供養なのかもしれませんね。

投稿者 としお カテゴリ ファッション,人名,歴史 コメントなし