「姑息(こそく)」 の由来
私は比較的真っ直ぐな人間です。
自分で言うのもなんですが。
筋が通らないことはあまり好みません。
人の真相、心の底が比較的見えてしまうところがあるのでそれを許せなくなってしまいます。
私は「策士」です。
ですから相手の「策」をよむことが出来ます。
だからこんな手口は好みません。
そうです。
「姑息」な手は好みません。
姑息 根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせ。その場しのぎのこともいいます。
しかし、この姑息な手は「儲かる」という事実も孕んでいるからたちが悪いのかもしれません。
例えば物を生産すれば利益が生まれ、経済が動きます。
でも現代の日本は物が溢れていますよね。
今の時代はいかに不要なものを買わせるかが勝負の分かれ目です。
物が必要でないなら必要にすればいい。
直しを頼まれたなら手を抜けばいい。
新商品を売るならどこか部品を外しておけばいい。
そんな姑息な手を使えば常に物のニーズが生まれ、経済がより活気づくのです。
でもそれって正しいこと?
ある日本の企業は精密すぎるからわざと壊れるように生産する。
そんな話を友人から聞いたことがあります。真偽は不明。
大量生産大量消費社会は正しいのだろうか?
物を生み出すには原料と加工が必要で、そこには少なからずデメリット(排気ガス 水の汚染 環境汚染)があり、中には自然の循環ですら浄化できない不純物も生み出されるのです。
そして物はいつか劣化し、どんなものも最後は「ごみ」となるのです。
そんな文明社会は永遠に維持継続可能なのでしょうか。
私にはもちろん分かりません。
姑息の由来
姑息は、しばらくを意味する「姑」と休憩を意味する「息」から成り立っています。
つまり、「しばらくの間、息をついて休む」となります。
この意味からつまり「その場しのぎ」となったわけです。
しかし、我々の姑息には明らかな誤用のイメージが付きまとっています。
「ケチ」とか「卑怯」といった意味です。
その理由の一つは、「小癪 こしゃく」と音が似ているためといわれています。
小癪、意味は「生意気 こざかしい」それと一番は、その使われ方がよくない場面に圧倒的に多いということがあげられるようです。
働き者の日本人は「休む」ことに悪が付きまとう人種であることも姑息を追い詰めているようです。
こすいって・・
でもどちらかといえば上記より私が感じていたのは、
「こすい 狡い」であります。
狡いの意味は、悪賢いとかケチであること。
「ずるい」「けち」といった意味の形容詞。
方言かとも思いましたが、関東から九州まで広く使われており、ある地域で生まれた方言なのか否かは判断し難いそうです。
同義に思いましたが、漢字の違いは我々が「姑息」を誤用していることの証明かもしれませんね。
そんなわけで私自身も姑息を勘違い、誤用していた一人でした。
意味は「根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせ。」
物質に頼りすぎで環境循環していない我々の生活こそがその場しのぎの「姑息」な生活かもしれませんがそれに気づいている人はほんの一握りでしょう。
物を大事にする私は時に「ケチ」と呼ばれます。
どうせ姑息な人生です。笑
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