「旅~たび~」 の由来
皆さんは旅がお好きですか?
私は大好きです。
新しい土地に見たことのない建物、食べた事のない名産品。
私の住む街が現在進行形で観光地として売り出しているということも私の中に火をつけたのかもしれません。
自分の住む場所にたくさんの人がやってくる。
つまりそこへ入ってみたいとみんなが思う。
もちろん住んでみたいと見てみたいは別の次元ではありますが、こんな嬉しいことはありません。
よりたくさんの物をみて、よりたくさんの感性を養いそしてわが町が日本に誇れるように還元していきたい。
そんな気持ちが私を後押しするのです。
昔は出不精で、家族が温泉旅行を計画すると渋ったものでした。
日記には、「うちが一番。毎日ハンバーグでOK。」と裕福なのか偏食なのか、生きているのか死んでいるのかもわからないような記述が今も伝説として残っております。
旅先では「週間少年ジャンプ」や「コロコロコミック」ゲームボーイにCDプレーヤーとなるべく日常を保とうと非日常を体験するという旅の目的をことごとく否定したものでした。
「旅」の語源
「たび」には数多くの説があるそうで、「他日(たび)」「外日(たび)」「たどる日」「外辺(たび)」「飛(とび)」「発日(たつび)」「給(たべ)」「他火(たび)」どれが正しいということは確定していないそうです。
これを書きながらそういえば前に「旅行」を書いたなと思い出したりするわけですが、「旅」には全く異なる我々の見落とした訳があるのです。
それは、「住む土地を離れて、一時他の土地へ行くこと」と、旅行と同意でありながら、古い解釈では「住居を離れること」をすべて「たび」といったのでした。
100キロ先に歩いていっても、御近所で寝泊りさせていただいても「たび」となるのです。
だから前出を一つずつ説明すると、他火(たび)であれば、今のように電気のない世界で他所の家庭の火で生活するといった意味となったり、その火で調理したものをいただけば、給(たべ)となる。
家以外の場所で一日を過ごすと解釈すれば「他日(たび)」「外日(たび)」「外辺(たび)」となり、 旅立つ日を前もって決めていたなら「発日(たつび)」かもしれない。
更に帰ってきて思い出にふけったならば「たどる日」でもおかしくない。
距離は関係なくても遠くへいったなら飛(とび)となるが、限定される意味ではこれは可能性は低いかもしれない。
というようにどれも「近からず遠からず」ということでこの距離に関係ないという曖昧さが正に、「たび」の語源はその多様さと一緒で一つに限る必要もないのかもしれないと思うのでした。
最近訪れたお勧めスポット 関東編
長野県安曇野市。
水もキレイで景色もきれい。
おそばも美味しい。野菜もうまい。博物館多い。
県内に城も多い。人も親切。
朝の連ドラの舞台なので人・・大杉。
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