「娑婆(シャバ)」 の由来
知人の身内のお葬式に参列しました。
仏教って色んな宗派がありますよね。
入場の仕方も違えば、人数や着ているものも違います。
うちの近くはお寺も多いので十人十色に近く、行く度ごとに違う宗派と出会います。
そんな中、どこでも同じなのは合掌することくらい。
時間も短縮の方向で、初七日や三十五日の法要は繰り上げて当日に済ませて、お焼香は「親族以外は一回で構いません。」なんて言われてしまうんです。
よく聞いていない自分は二回で気づいてやめて恥をかく始末。ははは。
何か間違っちゃいないかい?って若干つっこみを入れながらお経に聞き入る。(煩悩が多いから間違えるんだよ)
今日は二人だったんですが、どう聞いても見習いのほうがいい声でよく通る。
それでももちろん主要な箇所と思われるときはお師匠の出番。
そんな感じでなり響いていたときふと耳を疑った。
個人の名前の下りならその流れで何を言っているのか若干理解できる。
そこで、場所を意味するように「~はシャバにて~」と確かに言った。
いやいやシャバと言えば世間復帰困難な人々が、俗世間やそれまでの自分の居心地がよかった場所を懐かしんで使う言葉じゃなかったかどろうか?
ももも もしや、由来をかじってきた自分にはピンときました!
仏教用語??
シャバの由来
皆さんはシャバという言葉の漢字をご存知でしょうか?
調べてみれば「娑婆」と書くらしい。
いやてっきり社交の場で「社場」とかだと思っていました。
その意味
一つは・・・仏語。
釈迦が衆生(しゅじょう)を救い教化する、この世界のこと。
煩悩(ぼんのう)や苦しみの多いこの世のこと。
もう一つは・・・刑務所や兵営などにいる人たちが、外の自由な世界をさしていう語。
「~の空気」「~に出る」などのように用いる。
つまり我々の知識の浅さが災いしているだけで、本来のその意味の筆頭は仏語であったのです。
やはりその由来も??
やはりそのようです。
「忍耐」を意味するサンスクリット語である「saha」の音写からのようです。
ちなみに音写とは、ある言語の音声を別の言語の文字体系によって書き写すことであります。
娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦の苦しみに耐える自由のない世界とされています。
でもおかしいですね。「忍耐」にしろ「自由のない世界」にしろ、現代の囚人から見たシャバ(普通の生活が出来る場所)は、苦労のない自由な世界、つまり意味が反対となります。
これについては江戸時代の吉原の話が出てきます。
遊びにいく者からしたら遊郭を娑婆に対する極楽安堵の地と例えていたが、(男性からみた遊郭)嫌々遊郭で働く女郎からしたら「娑婆(外の世界)こそ自由の世界」となるのです。(働く女性からしたら外の世界が自由な世界)
そんなわけで、極楽安堵である遊郭で無理やり働く女郎達の立場からしたら吉原の外が娑婆となるわけですね。
こんな説明で意味が反転しているのをご理解いただけるでしょうか?
仏教から刑務所からその先の遊郭。
俗世間でも苦労の多い人もいればそんな忍耐の俗世間よりさらに苦しい生活をしている人もいる。
いまいちこの世が分からなくなりました。
コハリン - 2015年11月6日, 6:41 PM
娑婆は縛るものの無い世界のことで、この世、私たちのいるとこほろは様々な制約やルール、しがらみで縛られているので(忍土)と呼ばれています。
ですから、遊郭は夢のようなたところ…娑婆と、そこに遊び行く人達が言ってたところ、遊女達からみると。よほどお客のいる世界の方が自由で そちらの方が娑婆ですねと言ったとか。
不自由から見て少しでも良さそうににえる場所を娑婆と言ったようですよ。