「ねぶた」 の由来
遠い場所の夢物語そんなふうに思っていたのですが、最近は身近な場所でも見ることが出来るようになりました。
関東辺りまでは、けっこう「ねぶた」がやってくるのです。
もちろん本家の終わった後だったり、古いものだったり理由や制約はあるのでしょうがとにかくありがたい。
最初に見たときは大変感動しました。
二度目三度目になると、その感動は最初ほどではないにしろ、その分冷静になり、細部にまで目がゆきわたります。
昼間見るとその作りの細かさに感動し夜に改めてみると、ただただその勇ましい姿や、飛び出してきそうなほどの表情の豊かさに圧倒されるのです。
「いやぁ~あのねぷた、すごかったなぁ~。」
「おいおい、ちょっと待てよ。ねぶたとねぷたは違うから。」
青森の友人がよく怒っていたのを思い出します。
ねぶたとねぷた何が違う?
簡単な違いはやはり「場所」のようで、ねぶたは青森市、ねぷたは弘前市となります。
弘前市近隣の黒石市、五所川原市などでも「ねぷた」と呼ばれているようです。
「ねぶた」は他にむつ市くらいのようですね。
他に違いとしては、青森ねぶたは戦勝の祭りで、弘前ねぷたは戦への出陣の祭りという説もあるようで、それを掛け声を交えて説明すると下記のようになります。
弘前 ヤーヤドー(出陣ねぷた)
黒石 ヤレヤレ ヤレヤー(出陣ねぷた)
青森 ラッセーラー ラッセーラー(凱旋ねぶた)
五所川原 ヤッテマレヤッテマレ(戦中ねぷた)
青森ねぶたは「動」弘前ねぷたは「静」の祭りの表現とも考えられるようです。
これは戦のタイミングってことですが、友人が何をそんなにムキになっていたのかは未だに疑問ですが、きっとそれは伝統の誇りなのだろうと今は思います。
ねぶたの由来
寝てる豚なのだろうか?いやそうだったら面白いけどそれはきっと安易過ぎるでしょう。
「ねぷた」の由来は「ねむり流し」という行事からきているのだそうです。
「眠たし(ねむたし)」の語源に由来するという説です。
「ねむり流し」とは、七夕に木の枝や藁人形などを流すというもので、秋の収穫前、過酷な農作業を強いられる夏場、睡魔を追い払うために灯ろうを川や浜に流した習慣のことです。
「合歓木(ねむのき)」を目に擦り付けて、「ねぶた流し河流し」と唱えながら川に流した地域もあったとか。
これが後になまって、弘前では“ねぷた”、青森では“ねぶた”という呼び名となったと言われています。
この違いはどうやら「ねむたい」と言う時の方言の違いではないかとも言われているそうです。
そうそう。
今では大切なねぶた(ねぷた)だから再生可能なように丁寧に外したり、木ではなくアルミなどを用いたり、最初に書いたように遠征したりと、リサイクル的な利用法なのだろうけど本来は川に流したり燃やしたりするもんだって聞いた気がする。
自らの罪や穢れってやつをねぶたに身代わりになって祓ってもらうから最後は天にかえすのだろう。
そんなところからも「眠り流し」の由来の流れを感じたりする。
青森「ねぶた」も最後の日は海に入るんだって。
実は今年それを見てきた。
船に乗せられて決められたコースを廻り終わると一台ずつリフトで吊り上げられた。
そのまんま天にかえるのかと見届けようとしたけどそのまま陸に下ろされて各地区に帰っていった。
本来は燃やしたり流したりするのだろうけど、
観客の帰って暗がりの道を必死に押して帰る若者達に「お疲れさま~。最後までがんばって。」と地元の人々からたくさんの声と拍手が飛んだ。
もう深夜12時に近い時間だ。
その言葉に街の人たちの感謝の心を十分感じたから私も又来年宜しくねって心で語りかけてその場を去った。
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