「勿体無い(もったいない)」 の由来
高校の同級生が集まってバーベキューをしたことがありました。
肉に野菜に海のもの。焼きそばにおかしにジュースに酒。
材料を買ってくるのは当然ですが、その時の我々はというと、フライパン返しに包丁にまな板、その他の必要な道具まで買ってきてしまったのでした。
もちろん、なければ必要なものは購入してきてもいたしかたない。
しかし、最初から用意するつもりも無かったようで当然のように買い揃えたのです。
今の時代というのは便利なもので、これらの品々はなんと!
均一の値段で買えてしまうのである。
そうです。100円ショップです。
年々進化するこれらのお店。
バーベキューに必要な品々も合計1000円程度で買えてしまうという現実がそこにはあります。
品質もそれなりで、確かに一流品などと比べてみれば断然落ちるわけですが特に何の不自由もなくバーベキューは終了しました。
ゴミを分ける時のこと。
自治体によって分別が異なるので注意が必要となります。
もちろん生ごみやサランラップ、トレイなどが中心ですが、燃えないゴミはどうしようという声が出始めたのでした。
それは、包丁やフライパン返しの処分をどうしようというものです。
使い捨て?私は同級生のすることながら正直驚きを隠せませんでした。
それじゃ持って帰るか?と聞かれても正直困ります。
長く使うような品物ではないし、たとえ長く使えたとしても性能はすでに使っているものの方が格段にいいのはいうまでもありません。
ただ、そのままにはできないのでその時は、知り合いのアウトドアの会ででも使ってもらおうと持ち帰ったのでした。
「もったいない」
大正生まれのおばあちゃんと、明治生まれのおばあちゃんに育てられた母を持つ私はおそらく皆から見れば貧乏臭かったことだろう。
■「もったいない」の由来
もったいないは、和製漢語である「勿体(もったい)」を「無し」で否定した語といわれています。
また、「もったい」は仏教用語の「物体(もったい)」からきている言葉で、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表しているともいわれます。
そこから「重要な部分」「本質的なもの」の意味となったとか。
さらに、重々しい態度などの意味に派生し、意味が離れてきたため「物」が省略され、「勿」という表記で和製漢語の「勿体」が生まれたとされています。
「勿体」へ変化を遂げると「重々しさ」「威厳さ」などの意味から、もったいないは「妥当でない」「不届きだ」といった意味で用いられるようになり、それが転じて「自分には不相応である」という意味となります。
更に「ありがたい」「粗末に扱われて惜しい」などもったいないの持つ意味は広がっていったのだそうです。
「もったいない」は非常に奥の深い言葉ですね。
まとめながらも、この言葉の歴史において果たしてきたそれぞれの意味を全て理解するのは私には困難そうです。
では以上のことを外国の人々に説明してみてください。
たとえ英語が万能でな方でも困難を極めることでしょう。
外国には「もったいない」がないのです。
しかし、それ以上に、日本人である私も理解できないという事実は、今の日本人がいかに「もったいない」を意識していないかの現われなのかもしれません。
物はいくらでも生まれてくるのか?答えはおそらくNOです。
中国の成長と共に我々は危機感を覚えています。
日本には資源が無いのです。
なのに無駄遣いをしているのです。
そのしっぺ返しがいずれ日本を覆うことでしょう。
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