由来メモ

Archive for the '歌手・バンド' Category

「ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン・カンフー・ジェネレーション)」の由来

アジアンカンフージェネレーション略してアジカン。
初めて聞いたときには衝撃でした。

アジアのカンフー世代?いったいどうゆう団体やねん。(関西の方に怒られそう)
名前に対する先入観はあったものの、私好みの音楽だったためすんなり、頭に体に染み込んでいきました。
ちなみに一番好きな曲はベタですが「サイレン」。
ドライブしながら叫ぶのが最高です。
同じく「リライト」も同様に叫べます。

■「ASIAN KUNG-FU GENERATION」の由来

アジカンは四人組のロックバンド。
メンバーはボーカルギターの後藤正文さん、ギターボーカルの喜多建介さん、ベースボーカルの山田貴洋さん、ドラムスの伊地知潔さん。
関東学院大学内の軽音楽部にて結成されました。
バンド名の由来は、ボーカルの後藤さんが好きだった「thee michelle gun elephant」が関係しているといいます。
ミッシェルが英単語を3つ使用していることから「3つ単語を使おう」と思い立ち、いろいろ考えた末に「ASIAN KUNG-FU GENERATION」が生まれました。
(ゴーゴーシーチキンボーイズという候補もあったらしい)
ちなみにカンフーは後藤さんがカンフー映画好きだからとのこと。
「海外の人たちが読んで驚くような名前」という意味も込められているそうですが、そのことについてエピソードがあるそうです。

オアシスの元メンバーノエル・ギャラガーさんから「クソ素晴らしいバンド名だ。」と賛辞を受けているそうですが、同じく元メンバーのリアム・ギャラガーさんからは「バンド名にカンフーって付いてるけどお前カンフーできんのか?」と、後藤さんは直接きかれたそうです。
その時後藤さんは、ものすごく下手な英語で「できません。」と答えたとか。
その姿を想像すると、ちょっと情けなかったかもしれませんね。
略称は「アジカン」文字媒体では「AKG」「AKFG」と称されますが、椎名林檎さんだけは「アジフー」と呼んでいるのだそうです。
らしいけど・・

先日思わぬ場所で後藤さんを見かけました。
『NO NUKES』さようなら原発1000万人アクションであります。
普通こういった主張はミュージシャンは敬遠しがちです。
なぜならインディーズや新人なら「名前を売る」ことも可能ですが、メジャーにとっては「百害あって一利なし」の行動であるからです。
特に電力は音楽関係のスポンサーをつとめているため非常にナイーブな問題です。
そこに後藤さんはいたのです。私は正直嬉しかった。
自分の信じてきたミュージシャンは本物だったのです。

問題が何かではないんです。
自分が間違っていることを言えるか言えないか、損得考えずに主張できるかどうかというのが一番大切なことではないでしょうか。
音楽はたくさんの人を動かします。
音楽はたくさんの人に訴えかけます。
音楽はたくさんの人の心を動かす「はず」です。
あなたの聴いてる音楽は本物ですか?
偽者も多数存在するのです。
つくられた言葉も、偽者のメッセージも存在するのです。
後藤さんはブログに綴っています。

「記者会見に同席したことの影響もあって、ツイッターでは心ない言葉も飛んで来ました。」
それがただの音楽なら、リズムだけノリだけならそんなファンも存在するはずです。
それでも後藤さんは「この問題がマルかバツかのクイズのように扱われず、専門的なことは専門家に任せて意見を聞き、私たちは私たちで日々の生活から感じること、思ったこと、そういうことを自由に意見できるようになることが、望ましいと思います。『NONUKES』という一見過激な言葉を旗印にしていますが、『THINK』だったり『TALK』という意味もそこに付け加えられたらと思います。何より、原発が止まったとしても、全く解決しない問題なのだと私は思っています。使用済み燃料棒と放射性廃棄物の処理方法が確立されるまで、私たちはその危険性からは逃れられないのです。そういうものを取り扱っているのが、原子力発電なのだということを、ずっと考えています。震災の前からです。」
とメッセージを発信しています。

最後の 「この問題に部外者はいません。」 にミュージシャンとしての、発信者としての信念と責任を感じずにはいられません。


君繋ファイブエム


踵で愛を打ちならせ


投稿者 としお カテゴリ 歌手・バンド コメントなし

「JUDY AND MARY (ジュディ・アンド・マリー)」の由来

ボーカル:YUKI・北海道出身
ギター:TAKUYA・京都府出身
ベースでリーダー:恩田快人(おんだよしひと)兵庫県出身
ドラムス:五十嵐公太(いがらしこうた)神奈川県出身

四人そろって・・・JUDY AND MARY !

なんだか戦隊ものの紹介のようになってしまいましたが、これほど年代も出身も様々なバンドも珍しくないですか。
それは初めの出会いから・・・ 尋常ではなかったようです。
1991年6月ヘヴィメタルバンド「JACKS`N`JOKER」のメンバーとしてメジャーデビューしていた恩田さん。
映画「いつかギラギラする日」の撮影で北海道を訪れました。
そして、エキストラとして参加していた短大生のYUKIと知り合うのです。
YUKIが「バンドをやりたいけどどうすればいいのかわからない」と恩田さんに相談。
恩田さんはYUKIにデモテープを送ってもらいます。
それを聴いて恩田さんは決心したのでした。
YUKIをボーカルに抜擢することを。

そして1992年2月、YUKI、恩田さん、藤本泰司さんを中心にジュディマリは結成されました。
同年11月にはサポートメンバーだった五十嵐公太さんが正式に加入。
ただ、この頃はメインバンドを持っていた恩田さんのソロプロジェクトに近くメンバーも皆このバンドでのデビューなど夢にも思っていなかったようです。
恩田さんもYUKIがこのアルバムを名刺代わりにしてデビューできればいいな程度で考えていたようです。
アルバム発表後は既に解散状態でありました。

しかし、解散してみてはじめて恩田さんに熱意が沸き起こります。
そして、再始動を決意し、JACKS’N'JOKERを脱退。
デビュー契約など全てが整った時点で再始動をメンバーに伝え、強引に同意を求めたといいます。
五十嵐さんはこれに同意したものの、藤本さんはバンドで作る構想があったため脱退。
藤本さんに代わる形でオーディションによりTAKUYAが1993年2月加入。
同年9月にエピックソニーよりシングル「POWER OF LOVE」でメジャーデビューを果たしました。

■「JUDY AND MARY」の由来

名前の由来は、JUDYはポジティブな女の子の象徴的な名前であり、MARYはマリファナを連想させるネガティブな名前であるからとのこと。
ポジティブとネガティブが織り混ざった音楽を作りたい、ということで恩田さんの発案により命名されたそうです。

私はジュディマリが大好きです。
音楽はもちろんのことYUKIのキャラクターに惚れています。
おしゃれ番長的に扱われたビジュアルはもちろんのこと、彼女のポジティブなキャラクターを知ってから虜になりました。
きっかけは深夜のラジオ。
エロ満載でありながら笑いあり脱線あり毎週その時間を楽しみにしていました。
放送の中で彼女にたまにネガティブさが見えることがあります。
それは昔の自分を語るときでありました。
その独特のキャラが受け入れられずに苦労したという話です。
もちろん彼女は明るく語っていましたが、傍目に見ても辛い過去といえるのではないでしょうか。
だからJUDY AND MARYの由来を知ったときもしかしたらこれはYUKIのことなのかなと感じました。

もちろんその浮き沈む音楽がジュディマリの特徴ともいえます。
ネガティブをポジティブに語り吹き飛ばす。
それがジュディマリの音楽なのかもしれませんね。


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投稿者 としお カテゴリ 歌手・バンド コメントなし

「LUNA SEA 」の由来

記憶と記録の違いをあれほど考えたことはありませんでした。
ライブとかイベントってのは、その「非日常」めいたセットや体験といった人間の五感を刺激することではじめてその意義や役割を果たすものです。
例えばミュージシャンのライブでは、普段CDで聴いているだけでは味わえない、感じることの出来ない、発信者側の世界観や主義主張といったものを表現する最適の場であることに間違いありません。
大きなイベントでは更に、DVDやCD化など記録に残すことがオプションとしてついて来たりもします。
会場に居合わせた人は勿論のこと、その場へ行くことが叶わなかった
ファンのためにも必要なビジネス(企画)といえましょう。
それとは別に「記憶」に残るライブというものも存在します。
会場に足を運んだものにしか感じることができないスペシャルというものです。
例えばそれは解散ライブ。
それに最近多い限定ライブなどなど・・・
私の人生における一番の記憶は「LUNA SEA」によるものです。

それは1999年のこと。
東京ビッグサイトスペシャルステージにおける大規模なライブセットは直前の突風により破壊されるというアクシデント。
会場はズタズタで見る影も無く、まさにそれは廃墟といった感じでした。
遅延するしかないとスタッフが考える中、メンバーのSUGIZOさんの「この廃墟を背景にしてライヴ出来ないか」の一言で開催が決定します。
壮大なSEと共にヘリで登場。空から降り立った5人がステージに上がり、円陣を組んで気合をいれた後おなじみ「LOVELESS」で幕を開けました。
その廃墟を芸術的な舞台とした、入場無制限の「売りきれない」ライヴは10万人の観衆を呼び寄せます。
その一昨年の日本青年館公演でも台風に見舞われた事から、LUNA SEAはそれ以来「嵐を呼ぶバンド」との異名を得たのでした。

■「LUNA SEA」って

LUNA SEA(ルナシー)は1989年に現メンバーで結成し、1992年メジャーデビュー。
2000年に終幕を宣言し活動を休止しましたが、2010年に再開。
メンバーは、ボーカルのお馴染みRYUICHI  リュウイチ、ギターとバイオリンのSUGIZO スギゾウ 、同じくギターのINORAN イノラン、ベースのJ ジェイ、 そしてドラムスとパーカッションの真矢の五人。
明確なリーダーは存在せず、また確立もされていないそうです。
これは、Jさん曰く「全員が局面局面でイニシアチブを取れるから、責任を押し付けるようなリーダーはいらない」との考えから。意思決定は、全会一致が原則で、提案に対し決は取るが1人でも否定すればその案はなしとされます。
5人がライバルという考えもそこにはあるようです。

再結成に関してもSUGIZOさんの「開幕してほしいっていう人はあのときの感覚を再体験したいだけなんだよ。」といった絶対反対発言からも、全員の足並みが揃わない中途半端な形ではありえなかったようですね。

■「LUNA SEA」の由来

このビジュアル系にピッタリな綺麗過ぎる感じもあるバンド名の由来は、「月と海」からだそうです。
LUNAはラテン語で月、 SEAは英語の海ですね。
意味もメルヘン(色々と想像が膨らみ)でとても綺麗ですね。でも実は・・
インディーズ時代は、精神異常とか狂気という意味の「LUNACY」と言うバンド名であったと言います。
メジャーでの活動を視野に入れた頃から、一つの意味に縛られないように、また音楽的にも深く広くといった思いもこめて「~CY」を「~SEA」とし、「LUNA SEA」に変更したのだそうです。
ちなみに2000年に発売されたアルバムには、初心に帰るという意味も込めて、旧バンド名「LUNACY」という名が付けられたとか。

今回思い立ったのは、こんなニュースから。

大型トラックの積み荷が燃える事故が。
トラックはジャニーズ事務所のユニット「Kis-My-Ft2」のコンサート機材を運んでいた。
火は約1時間半後に消し止められたが、大型トラックの一部と積み荷が燃えた。
記憶にも記録にも残らないけどニュースになるのがすごいと思いました。
そしてLUNA SEAを思い出したんです。
ネガティブ要素のはずなのに、それをプラスに捉えた演出で
記憶にも記録にも残してしまったんだから・・・やっぱりすごかったなと。

COMPLETE BEST

NHK-DVD 一夜限りの復活ライブ LUNA SEA沈黙の7年を超えて


投稿者 としお カテゴリ 歌手・バンド コメントなし

「BUCK-TICK」の由来

BOφWYを調べていたら面白いことに気付きました。
もちろんコアなファンの皆さんにとっては周知の事実でしょう。
今日取り上げるバンド「BUCK-TICK」は「BOφWY」と同じ群馬県の出身だったのです。
学生の頃、周りで人気を二分していた二つのバンドに意外な共通項があったことを知り、調べてみたくなりました。
皆さんはご存知でしたか?

BUCK-TICKは、ギター、コーラスの今井寿さん、ボーカルの桜井敦司さん、ギター、キーボード、コーラスの星野英彦さん、ベースの樋口豊さんの4人の藤岡高校出身者と前橋育英出身でドラムのヤガミトールさん五人編成のバンドです。
元々は1984年にヤガミさん以外のメンバーと前任のボーカリストで結成された「非難GO-GO」というバンドが前身。
1985年に現メンバーでBUCK-TICKを結成し、インディーズ活動経由で1987年にメジャーデビューを果たします。

■「BUCK-TICK」の由来

バンド名については1984年の夏に「BUCK-TICK」に改名されました。
「華があって、過激で誰もが覚えやすい名前」ということで、今井寿さんが命名したとのこと。
前の「非難GO-GO」からは想像できない垢抜け方ですね。
初めて目にした私にもインパクトは絶大でした。
はじけていてロックっぽい。
それでも一度も聴かなかったわけですが。笑

そしてここからが今日の本題となります。BOφWYとの関係性。
実はBOφWYのボーカル氷室京介さんも群馬県の藤岡高校出身者だったのです。
同郷で同校卒、つまり氷室さんはBUCK-TICKメンバー四人の先輩ということになります。
そういった繋がりがあってか、いくつかの面白いエピソードがあるそうです。
1985年頃の話。BOφWYが群馬に帰って来てパーティーを開きました。
その時、氷室さんが当時ドラムだった櫻井敦司さんに、お前は顔がいいからボーカルをやった方がいいとアドバイスしたといいます。
事実その通りになりますが、この事がボーカルへの転向を志願した直接の原因ではないと櫻井さんは後に語っているのだそうです。
櫻井さんが徐々にボーカルとしてフロントに立つ事となり、新しいドラムが必要となりました。
空席となったドラムスは樋口さんの誘いにより、樋口の実兄であるヤガミトールさんが加入することになりました。
そのヤガミさんとBOφWYの間にもエピソードがあるそうで、氷室さんの免許更新に同伴して群馬に行ったBOφWYのドラム高橋さん。
当時まだアマチュアだったBUCK-TICKのヤガミさんに焼肉をおごってもらう代わりに、彼の自宅でドラムを2時間叩いてみせたと言います。
プロがアマチュアに奢ってもらうというのも面白い話。
しかし当時は2人のレベルが違いすぎた為、ヤガミさんは「いつも使っているドラムセットなのに、何故こんな音が出るのか全くわからなかった」のだそう。
それでも貴重な体験だったという事実は揺るぎようの無いものでしょうね。

私は二つのバンドをほとんど知らずに育ってきたのですが、そんなエピソードを知ったら色々な思いを巡らせつつ比較しながら聴いてみたいと思いました。
当時は音楽を聴いたのではなく、ビジュアルに興味が持てなかったのではなくその音楽はそういう格好が好きな人、そういった服装がしたい人が聴くものという先入観がありました。
今なら一つの音楽として聴けそうです。

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エリーゼのために


投稿者 としお カテゴリ 歌手・バンド コメントなし

「BOØWY(ボーイ)」の由来

中学生の頃ってちょうどそれぞれの進路が決まってくる時期です。
といってもそれは、進学とか就職とかそういったものではなくてアイドルが好きとかバイクに乗りたいとか卓球部に入るとかなんていうかそう、それぞれのキャラクター、立ち位置ってやつです。
自分の場合は目標もないのにとりあえず進学することが第一にあり、更にやりたくも無いのにスポーツが得意だったためいくつか掛け持ちでやらされていたことでそういった文化から完全に取り残されていました。
いざ、部活が終わると何をしていいのかわからず、プロレスに行ってみたりオシャレをかじってみたりしたわけですが中々しっくりこなかったものです。

一番理解に苦しんだのが不良グループ。今で言うヤンキーの皆さん。
単車とか煙草とか喧嘩とか自分はどれも興味がありませんでした。
そんな皆さんが崇拝していた音楽がBOØWY。
もちろん私はこちらも興味がなかったので名前くらいしか知りませんでした。

●BOØWY(ボウイ)は日本のロックバンドです。当たり前か。
1980年代に活躍。1981年結成、1988年解散。
群馬県高崎市出身の氷室京介さん、布袋寅泰さん、松井恒松さんを中心に結成されました。
初ライブ後に高橋まことさんが加入し、1982年にデビューします。
当初は6人編成だったそうですが、同年の秋に2人が脱退。
その後は解散まで4人編成で活動しました。
特徴は8ビートを基調としポップでありながらもシャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンド。
ジャン=ポール・ゴルチエをステージ衣装に採用したり当時としては斬新な逆立てたヘアースタイルなど、ビジュアルでも多くの支持を集めたようです。

また「誰にも似ない」「何処にも属さない」というバンドスタイルやメディアをほとんど利用しない強気な姿勢が逆に功を奏し後のバンドブームに多大な影響を与えたようです。
絶頂期での解散ということも伝説的な扱いを受ける理由の一つなのでしょう。

■「BOØWY」の由来

ボーカルの氷室さんは、BOØWY結成以前は、レコード会社の意向によりスピニッヂ・パワーというバンドののボーカルとしてデビューしました。
が、音楽性の違いから脱退。
同時に付き合っていた彼女とも別れてしまい、音楽の道を諦め帰郷する決意をしました。
最後のつもりで立ち寄った日比谷野外音楽堂でのRCサクセションのライブ。
そこで受けた衝撃の勢いそのままに一念発起したのです。
群馬時代のライバルであった布袋さんのもとへ連絡を入れます。
六本木アマンドの前で再会。
同郷のライバル同士ではありましたが当時の2人の間にそれほど面識はなかったので布袋さんは、てっきり群馬から東京に出てきてチャラチャラした生活をしている自分を知った氷室さんが殴りにきたのではないかと思ったといいます。

再会してみると群馬時代は硬派だった氷室の風貌がニューウェイブ風に変化していたので驚いたというのが第一印象。
そこでバンドへの誘いを受けるわけですが、殴られると思って呼び出された布袋さん。
「地元でも有名な不良少年の氷室さんが怖くて誘いを断りきれなかった」と後に半分ネタとして語っているそうです。
そうして結成されたわけですが、その名前の由来は・・・

関係者の誰かが「男だけだからボーイってのはどう?」で始まったと言います。
「デビットボーイもいるし、いいかもね」同調するメンバー。
ちなみに氷室さんは、どうでもいいから他人にお任せだったよう。。
「ボーイ」と読めるアルファベットが紙に何種類か書き出されました。
そこに「Ø」を入れたかった布袋さんの意見が取り入れられ、「BOØWY」に決定したとのことです。

ところが!
当時ありがちな「事務所の意向」が働いたのか・・・
所属事務所ビーイングのスタッフにより「暴威」という印刷が上がってきたのでした。
デビューの時には「BOØWY」となりことなきを得ましたが、さすがにその名前ではブレイクしなかった気がするのは私だけでしょうか?
他にも候補として「群馬暴威」と言うものもあったのだそうです。
更にダサい感じがしますがジャニーズならありそうな気も・・・

●エピソードいっぱい

氷室さんはバンドを結成した当初は、英会話教材のセールスマンをしていたらしい。
意外にも営業成績も優秀だったといいます。人は見かけによらない?
車の誘導のアルバイトでは車をぶつけ、パチンコ屋では台を壊し、ゲームセンターでは出勤3日目には先輩を見切り一日中ゲームをしていたとか。
これはそれっぽいですね。
氷室さんの芸名の由来は、漫画「ワル」の主人公からで初期は「狂介」でしたが京都の占い師に「“狂”という文字は絶対に使ってはいけません」と言われ、現在の「京介」に改名。
その後売れたため、もう占いをしないと決めたのだとか。
氷室さんはまったく酒が飲めず、専らコーラか飲む時でもカルーア・ミルク。
本当でしょうか?

一方布袋さんは酒に強いため、ライブハウス時代に他バンドの打ち上げの席でBOØWYを宣伝する広報係を担当していたらしい。
体の大きさそのままにラッパ飲みしそうですよね。
布袋さんは喫茶店のアルバイトの面接に行った際「背が高すぎる」という理由だけで不採用になったことがあるとか。
本当にそんなことあるんですね。
夜中に酒屋の脇に積んであるビンを頂戴し、翌日何食わぬ顔でそれを売りに行って小銭を稼いでたという武勇伝も。
などなど・・・最近のバンドマンにはありがちな話ばかりかもしれませんが時はバンドブームの走りであった時代。
そういった全てが我々の世代に新鮮に映ったのではないでしょうか。
全ての不良少年の憧れになっていったのでしょう。

そんな事実を私は今知りました。笑

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投稿者 としお カテゴリ 歌手・バンド コメントなし