「政治・政局」 の由来
今日は政治について書かせていただこうと思うのですがはっきりいって難しいことはわからないから、一点に絞って書かせていただきます。
それは、「政治と政局」の違いについてです。
最近よくテレビで言われてると思います。政局ばかりで政治をしていないと。
違いはなんなのでしょうか?
●政治(せいじ,英: Politics)とは、広い意味において人々が生活する上で従うルールのこと。
支配、統治を創造し、維持し、修正し、また破壊することを通じて行われる活動のこと。
まぁ難しい。
簡単に言えばルールを作る事と壊すこと?
●政局(せいきょく)とは、ある時点における政治の動向。政界の情勢。
このように比べてみると、政治をとるからには政局はついてまわるものである気がするのですがその点はどうなのでしよう。
決め事をするのに、討論や決といったものは必要で避けて通ることは出来ません。
そして最近忘れられがちなのは、「過程」ではないでしょうか。
もしかしたら結論より大切なのは過程かもしれません。
しっかり議論をしてお互いの意見を戦わせて、結論を導き出す。
果たして、今の国会はその役割を十分に果たしているのでしょうか。
ただただ、数だけ集めて法案を通す、そうなっていないかということではないでしょうか。
更に議論を放棄するとなると・・・
国会運営は一日換算で数億円がかかると聞きました。
これはもちろん開いていなくても同じです。
ほんとに税金の無駄遣いです。
■政治と政局の由来
「政治」は漢字二文字なの、中国での由来を先に調べてみると、「政」は「正」と同系列で「正しいこと」、「治」は「水に工夫をすること」なのだそう。
つまり治水が転じて「うまく調整する」という意味になったのだそうです。
なるほど!と唸らされました。今の時代でこそ考えたことはありませんが、昔の人にとって洪水はかなりの脅威でありました。
日本でもあのヤマタノオロチの神話の蛇は、水の流れを表現したものとも言われてます。
もちろん現代でも、九州での豪雨や濁流は人々の生活を脅かしています。
一方、日本では「政(まつりごと)を治(おさ)める」という訓があてられますが、「まつりごと」というのは祭事、「おさめる」というのは首長として統治するということつまり「首長として祭事を工夫して行う」ということが「政治」だったと考えられます。
それぞれの歴史の違いなのでしょうか。
次は政局。
こちらは政治の局面の意味であり、局面とは、将棋や碁などの勝負(対局とか一局とかいうように)での情勢(どちらがどのように勝っているか)のことを言うようです。
そこから派生して他のこと(例えば戦争、政治や仕事など)の物事のなりゆきや様子をあらわす意味にも使われるようになりました。
ということで 「政局主導のうごき」の対義語を考えると、「政策主導の議論」となります。
このことは、政局注目される時には政策を蔑ろにしているということに繋がります。
やはり政局主導とは中身より数というふうに解釈できるのではないでしょうか。
私は最近の党首選挙というものに腹が立ちます。
候補者が何人かいても、結局決選投票になります。
するとどうでしょう。
最初にトップだった人に対して、2位3位の人が結託するのです。
もちろんお互いの政策の確認はするのでしょうが、負けるよりは妥協しても勝ち馬に乗りポストをいただくといった姿勢が見える気がします。
これこそ政治ではなく政局ではないかと思います。
同じ党員の中で代表を選ぶのです。おおよその方句を同じくしているはずです。
誰がなっても文句なし。そういった態度で是非とも臨んで欲しいものです。
そもそも党など必要なのでしょうか。
すぐに分裂し、意見が分かれ、ただただ交付金を受け取る為にどこかに所属しているように見えなくもありません。
今の日本の政治は、国民を川に流し、祭りごとの旨み楽しみだけを独占しその費用の負担だけを流されて家もない国民に押し付けているかのように見えます。
局面には勝つか負けるか二つに一つ。
政局も命を欠けて取り組んで欲しいものです。
政治のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ (増補改訂版)
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