「ごぼう抜き」 の由来

久しぶりに運動会ってのに参加しました。
それは甥っ子の小学校のもので、秋空~でなく五月の春空であることに若干困惑しながら言ってきました。
昔は恒例かと思われていた九月、十月の開催も最近は残暑の厳しさから春の開催校が増えているのだそうで、時代と気候の変化を感じずにはいられません。

甥っ子は一年生だったので、入学して一月ほどでの運動会。
踊りも競技も準備が十分とは言えず、整列するのに精一杯といった感じでした。
お昼ごはんを追え、六年生の組体操が終わると最後に町内対抗のリレーというものがありました。
徒競走などは背の順でだいたい同じくらいの子供同士で走りますが、こちらは学年が同じということ以外は無差別に近い為、ありえない組み合わせでのレース展開が見所。

二人の選手の候補しかいない地区の代表と十人の候補からの代表とでは、その力の差は歴然です。
一番大きな地区が四年生でバトンを落とし、そのまま最下位で六年生に引き継がれました。

そのバトンを受け取ったのが学年一の長身で、180センチ近いのではないかといった人一倍体の大きな男の子。
グランド半周で二人を抜き去り、最後の直線ではトップに躍り出て見事一位でゴールしました。会場がどよめきます。
彼の走りもそうなのですが、その前の展開などどうでもよかったのではないかという結果に、ため息交じりの苦笑いが所々で見られます。
六人のごぼう抜き。
総評を行なった校長先生もそのことにはあえて触れず無事、運動会は幕を閉じました。

■「ごぼう抜き」の由来

「ごぼう抜き」とは、ごぼうを掘り出す時、するっと一気に抜けることからその由来がきているとは私もなんとなく知っていた話。
でも、そのごぼうだって泥臭く生きていて、それだけ揉まれて成長してきたわけだし、すっ~と抜ける前にもそれなりの準備が必要で、下ごしらえがあるから一気に抜けたときに爽快感があるのではないかと思われます。

競走などで数人を一気に抜くことを主にこのように呼ぶわけですが、私が今日見たレースにはその努力というものが一切感じずに才能だけで「すぱ~っ」と切り裂いていったから、潔い(いさぎよい)といえばそうだし、なんだか煮え切らないといった感想をみんなが持ったのは明らかなはずであります。
しかし、小学生である以上、手を抜くとか空気を読むといったことのほうが当然教育上よくないことで、その結果は結果として「ごぼう抜き」という表現を使わなければそれはそれで成り立つものと思われます。

ただ、「ごぼう抜き」にはもう一つの意味があるそうで座り込みの人などを一人ずつ排除したりすることや、多くの中から一つずつを勢いよく抜くことなども呼ぶのだそうです。
人材を引き抜いたりする場合に用いるとか。
このような使用法は恥ずかしながら知りませんでした。
言葉とはよくできているものだな・・・今日は素直に感心いたしました。


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著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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