「高を括る(たかをくくる)」 の由来

これくらいのものだろうと、軽く考えること。
程度を予測し、大したことはないと見くびること。

「たかをくくる」

私は物事に目安を付けることが好きです。
なぜなら緊張しぃなんですね。
更に「たかをくくる」ように心がけます。
自分にプレッシャーをかけないようにしたいんでしょうね。
なぜ緊張するのか・・・それはきっと、その先に見たことのないことやったことのないことが待っているからではないでしょうか。
先が見えない事に不安を覚えて、深く考え込むことで安心しようとしますが、それが更なる不安を呼び込みます。
なぜでしょう?
それはやはり体験に勝るものはないからです。
歳を重ねていくと緊張する場面が減ってきます。
それも「大方のことは体験した・経験してきた」からではないでしょうか。
いざ自分がそのような歳になると「いい緊張感」が生まれます。
「緊張すること」がいいことだって?若い皆さんはそう思うことでしょう。
しかし、人間はというと、緊張しなくなると、どんどん緩みます。
そして失敗します。
しかもその失敗が平気になってしまうのです。
これを「粗相(そそう)」と呼んでみます。
こちらは主に子供に使われる言葉ですが、歳を重ねるとそう呼びたくなります。
周りが諦めてしまうのです。
緊張しておしっこが近くなるのではなく、普通にしていても近いのです。
もちろんその頃になったら「たかをくくる」必要も要らなくなるのでしょうか?
誰か教えてください。

■「たかをくくる」の由来

たかをくくるは、高を括る(たかをくくる)と書くのだそうです。
「鷹」ではないのですね。
「たか(高)」は「収穫高」のことで、分量のことなのだそうです。
「くくる」はもちろんひとまとめにすること、計算すること。
武士の戦いにおいて、兵力はその領地の広さやその「石高」にもとづいていたそうです。
(「石高」とは中世の武家社会において土地から取れる米の量を表したもの。現代でいえば所有財産)
戦いに際し、勝敗の見込みを計る為に相手の領地の「石高」を計り、相手の兵力を割り出したといいます。
石高は武士の実力と考えると分かりやすいかもしれませんね。
相手の大きさを知らなければ戦法も練れません。
大名は石高を計算して勝てると思った時に、戦争を仕掛けたりします。
まぁ当然でしょう。

しかし計算と現実は相対するもので、思い通りは運ばないことも多々あります。
数じゃない、金じゃない、裏切られることもありますからね。
そして「たかをくくる」だけで戦いを挑むのは、無謀だ、傲慢だということになり、更に、今使われているような、相手のことを甘くみるという意味になったのだそうです。
ゲームの話ですみません。

緊張していると、実力が発揮できずに負けます。
相手を甘く見ると、これまた負けます。
適度にリラックスして、集中すると・・・勝てるんです。
でもその状態に持っていける確率は五割以下。
まだまだ高を括って緊張を和らげる方法が私には必要なようです。
そのまま粗相にならないといいな。

不安も緊張も指先でたたくだけで消える

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著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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