「リハビリ」 の由来
私は小さな頃大きな怪我をしたことがあります。
骨やら神経やら様々なパーツを損傷しました。
昔の記憶なのですべては憶えていないのですが鮮烈な記憶がいくつか残っています。
ひとつはギプス。
あの石膏の独特な匂い。そして夏だったこともあり強烈な暑さ。
二つ目は縫った糸を目の前で外されるときのハサミ。
それほど手入れはされていないのに不気味に光って見えたそれは、それほどの痛みを伴わないのに恐怖心を煽りました。
そして最後の一つがリハビリ。
退院後も数ヶ月通わされ、意味があるのかどうかもわからない作業を繰り返す。
それに何の意味があったのかは未だに疑問が残ります。
中でも不思議だったのが、ロウソクのロウのようなものの中に手を入れて温めるというもの。
型とりのように固まった手を引き抜くと自分の体の一部であるはずのその部分がまるでマネキンのよう。
色もよく憶えてないけど赤みかかっていて独特な色彩を放ち不気味。
いつもその場に立つと妙な緊張を覚えた感覚が未だに残っている。
■「リハビリ」の由来は?
リハビリは英語リハビリテーションの略で、意味は身体的、精神的、社会的に最も適した生活水準の達成を可能とすることを目標とし各人が自らの人生を変革していくための手段を提供していく限定した時間のこと。
その由来はラテン語からで、re(再び)+ habilis(適した)から。
「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」といった訳が適当なようです。
ちなみに他にも「権利の回復、復権」とか「犯罪者の社会復帰」といった意味合いもあるそうです。
中世ヨーロッパでは「教会からの破門の取り消され、復権すること」も意味していたとか。
定期健診で昔通った病院のリハビリ室の前を偶然通りかかった。
場所が変わっていたこともあってはじめはそれと分からず、やけに広い部屋で暇そうなスタッフばかりだなといった印象。
時たま車椅子の人が出入りするのを見るうちになんとなくそれと気づいた。
歩けないとはなんと窮屈なことだろう。
自らの経験からも、高齢の身内をみていても思う。
トイレにいけない風呂に入れないという、いわゆる水物を自分で管理できないと言うのはなんとも屈辱的だし、損失感も伴う。
しかし人は残念ながら年老いる。
体は当然劣化していく。
いつかその時が自分にも来るのだろうか。
そこまで長生きするのだろうか。
したいか?と聞かれれば今は全くそういった気持ちはない。
しかしその状況は自ら選択できるものではない。
そんな自分がもし過酷なリハビリ生活を強いられる状況になったなら耐えられるだろうか?
今でも全く自信がない。
必至に歩こうとするご老人を何人か見ていた。
なんだか憂鬱な気分になった。今の健康に歩けるという自らの現状を改めて見つめなおす。
小さな頃の希望に満ち溢れ考えも浅かった自分の考えを今更ながら恥じた。
小さな一歩でもそれを大きな一歩と、手ごたえを感じ必至にリハビリに励むお年寄りに心の中でエールを送って病院を後にした。
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