「マッチ」 の由来
マッチ一本火事のもと
確かにそのとおりです。
小さな火でもくすぶり続けてそのままにすると大きな火災になることも十分考えられます。
タバコを吸うマナーの悪い人などは、車から投げ捨てたり十分に消化しないまま放置するということが良くありますが私は神経質なのでそのような行動はモラル的にも理解できませんし、それを見ているだけで気が気ではありません。
自宅等でお客様の帰った後のタバコの始末にも気を使います。
一見消えているようでも僅かな火種が残ると何が起きるか分かりません。
そのままゴミ箱にいれるなどもってのほか。他のものに燃え移ったらそれこそ大変。
一番は水に浸すことですが、浸した後ゴミ箱に入れても異臭を放つ濁った水が残ります。
トイレでも流しでも処理することは出来ますが、非喫煙者である私にはそれも我慢できません。
なぜ自分の吸わないタバコの悪臭に我慢しなければならないのか。
まさに行き場の無いゴミ。もちろん喫煙者の皆さんはそれほど気にならないでしょうが・・・
■「マッチ」の由来
さて話がややそれましたが、あると当たり前のように浪費し無いときにはその存在の大きさを再確認するのがマッチではないでしょうか。
昔は小箱一個が米4升に匹敵するほどの高価な輸入品であったといいます。
そういったなかで日本でも1875年、マッチ国産製造の提案者であり後援者でもある吉井友実さんの三田別邸に構えた仮工場でフランスで学んだ金沢藩士清水誠さんによってマッチの製造が開始されました。
これが大成功をおさめ、新設した工場で本格的に生産が開始されました。
こうして19世紀末から日本はマッチの輸入国から輸出国となります。
驚いたことにマッチは当時の日本が輸出競争力を持つ数少ない工業製品だったそうで、最盛期となった20世紀初めには、スウェーデン、アメリカと並び世界三大生産国にまで上りつめました。
マッチという呼び名はラテン語からだといいます。
1827年イギリスの薬剤師のジョン・ウォーカーさんという人が摩擦マッチを発明。
新しく発明されたマッチには、ラテン語で「ロウソクの芯」を意味する「MYXA」という名前がつけられました。
それが英語の「MATCH」という言葉になり日本にも伝えられたのです。
ただし日本語では当初「摺附木」といったのだそう。
以前から、火種から火を取り出すときに使う先端に硫黄を塗ってある木片が日本にもありました。
それを附け木と言ったそうでそれをこすって火をつけるという摩擦の意味を加えてマッチの役割を果たしていたそれを摺附木と呼んでいたようです。
火をつけるということは単純なようで非常に困難な作業です。
それを一瞬にして可能にしたマッチ。最初に目にした日本人は大変驚いたことでしょう。
しかしそれを我が物にし商いをしてしまうのですからさすが日本人!
したたかさが見えるマッチの歴史でした。
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