「宿題」 の由来
なぜ学校でたくさん勉強しながらも、家に帰ってまで宿題をしなくてはならないのか?
小学校なら復習、それ以上(中学校よりも上)なら予習の意味合いがあるのだろうけど学校ですでに5時間以上学習しているのに、それ以上やらせるなんてクレージーだなんて思うのは私だけだろうか?
更に今の子どもというのは1人でいくつも習い事をし、そして極めつけは学習塾。
小学校も低学年から塾に通わせるのは常識らしい。
それならなぜ小学校になんて通わなくてはならないのだろう。
身近に何人か学校の先生がいるが、どこの家も子供に小さいころから塾通いをさせている。
もしかして学校ではまともな勉強は教えていないのか?
それなら宿題も納得できる。自主的な学習を強要しなくてはならないのも理解できる。
学校は・・・基本的な社会生活を教える場所?いやそれは家庭ではなかろうか?
■「宿題」の由来
宿題は江戸時代の寺子屋から生まれた言葉と言われているらしい。
・・・ということは、そんな昔から持ち帰りのお勉強が存在していた?
「宿」というと、我々は一晩泊まる施設を想像するのが普通だが旅行なんてお伊勢参りぐらいで藩からでることもそうは多くなかった時代、「宿る」という言葉が指し示すように大勢の人、物などが一つ屋根の下に集まることも「宿」と呼んでいたのだ。
寺子屋のようにたくさんの人が集まるのがまさにこれ。
たくさんの子どもたちが学ぶために集合する、まるで宿り木の小鳥たちのように。
「宿る」と考えた場合、一晩泊まるという現代の概念とは多少異なるわけ。
子供の数も多かったはずだから、「次までにこれをやってきなさい」
なんてお題もだされたことだろう。そう、これが「宿題」。
でも現代の子どもたちと、その取り組みへの意欲は間違いなく違っていたはずだ。
学べることが当たり前なんて思うなよ、なんて今の子ども言っても無駄か…
最近のコメント