「カンコー学生服」 の由来
学問の神様、菅原道真公について調べていたんです。
学問てことは、頭がいいってことですよね。
私の知るところ昔の人でそれに該当するのは、何人もの話を一挙に聞くことが出来るという聖徳太子さんなわけです。
もちろん言い伝えだから確証はないんですがね。
菅原道真公はそれ以上ってこと??
菅原道真さんプロフィール
承和12年(845年)6月25日生まれ 平安時代
職業・貴族・学者・漢詩人・政治家
この肩書きはすごいですね。
官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
このへんはよくわかりませんが、「太政大臣」ってのは上から3本くらいだった気がします。かなりエライ人なはず。
大宰府へ左遷され現地で没する。
ヘマやらかしたのでしょうか??
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
みんな余程の罪悪感があったのでしょう。
天神とは?
雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられました。
火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとしたのです。
以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられました。
こうして、「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることとなります。
やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い、道真が生前優れた学者・詩人であったことから、
学問の神として信仰されるようになったのでした。後付けだったのですね!めでたしめでたし。
いやまだ終わらないです。
1000年以上前の話でありながら、いくつか興味深いことを見つけたのです。
一つは子孫のお話。
そこには、前田利家、大隈重信、菅直人と時代時代の主役の名前が記されていたんです。
もちろん、「血を引く」というのは一代前でもその単純濃度は50パーセント、三代前なら12・5パーセント。
しかも菅原道真公は子沢山だったようなので、現代までくると100年で3代と数えても30代以上。
その縁者の総数も1000いや一万はゆうに超えていると考えられます。
また今の総理大臣が血を引いてるってのも・・・ちょいとできすぎな気もしますが。 笑
まぁそれでも子孫も優秀なのでしょう。それに昔は同等の身分で縁組したので、自然に優秀な遺伝子が集まってきていたのかも知れません。
そしてもう一つが遅ればせながら本題。
カンコー学生服。
菅原道真公と何の関係が?
誰しも一度はお世話になる(毎日着ることになる)学生服。
皆さんはどこの会社のものを着用していましたか?
私はまさにこのカンコー学生服でした。
これは実は「カンコー(菅公)学生服」と書くのだそうです。
学問の神様として親しまれ、勉学に励む人の象徴的存在である道真公(菅はオン読み)にちなんで名付けられたそうなんです。
もちろん当時、「菅公」が同様の学生服を着ていたなんてことはありません。
でもそこには、着用した子供たち、児童、学生さんの学問への願いが込められているのです。
余談ですが、文具メーカーにも菅公工業(かんこうこうぎょう)という会社があるそうです。
こちらも同様の由来ですが、二つの会社に関連はありません。
カタカナで表記されると、それほどピンときませんが、漢字をみれば一目瞭然!なのかもしれません。
その昔、怨霊として崇められていた人物の名が、現代では堂々と衣服に掲げられている。
なんだか不思議な気分です。
もしかしたらそれもご供養なのかもしれませんね。
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