Photo By Amazon.co.jp:博多華丸・大吉
「博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)」 の由来
こんな失礼な話はない。
・・・いや、よくある?
テレビでみかけた博多華丸さんが面白すぎたから、その芸名を調べようと検索するとコンビであることが判明した。
お笑い通やテレビ好きには当たり前の話かもしれませんが、私は本当に知らなかったのです。
博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は、吉本興業東京本社に所属する漫才コンビ。
二人は福岡大学で、同じ落語研究会に所属したことにより知り合います。
地元のタウン誌に紹介されるなど当時からそのセンスは評判で、怪しげなプロダクションにコンビ名を「ヨッチャン・オカチャン」に改めて東京で一旗揚げないかと誘われたこともあるらしい。
その後、「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビを結成し地元で開催されたオーディション番組に出演。
それをきっかけとして吉本興業福岡事務所の1期生のオーディションに見事合格。
初代吉本福岡事務所長の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針から「華丸大吉(はなまる・だいきち)」と改名させられたのだとか。
由来は、めでたい名前だから。
しかし、しばらくすると芸名は平仮名で7文字が売れるというよくわからない根拠と「さらにめでたい名前をつけよう」という意向から「鶴屋華丸・亀屋大吉(つるやはなまる・かめやだいきち)」とされてしまいます。
この後に現在の芸名となるわけですが、その理由は姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が退職する際に
「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」
「『鶴屋』がほぼ0点に近い。『亀屋』は口に出せないほど最悪」
と判断され、
「ずっと気になっていた」
「お願いだから改名して欲しい」
と頼みこんできたことから。
彼女の意見に従って現在の「博多」の屋号を名乗るように。
その女性職員はこうも言ったとか。
「屋号を博多に変えて2年以内に2人が東に向かうと運気が上がる」
その甲斐あって?二人は東京に進出しブレイクしたという嘘のような本当の話。
名前って、、、なんなのでしょうね。
私が博多華丸さんがピン芸人であると思っていたのにはわけがあったようです。
不祥事を起こした大吉さんが一年ほど謹慎していた時期があるのだとか。
それからというもの大吉さんは裏方にまわることが多くなり、ネタもいつしかほとんど大吉さんが書くようになっていったといいます。
現在は二人の漫才などは勿論のこと、相方の華丸さんのピン芸も含め、全ては大吉さんの指導によるものなのだとか。
陰のプロデューサーというわけ。
いつしか華丸さんにとって大吉は相方と言うより何かを教える先生のような立場に。
そんなことから、周りがそれを立てて「大吉先生」と呼ぶようになったのだということ。
漫才コンビって意外とそういう関係多いみたいだよね。
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