Photo By バイク便八王子立川所沢
「とんねるず」 の由来
1980年に結成され、関東お笑い界の頂点に立ったとんねるず。
私も人生で初めて自分の小遣いで買ったCDが彼らのものだったという過去の体験から、未だに彼らがテレビで活躍しているのを見るとなんとなく誇らしく思うのです。
彼らほどのビッグなタレントの由来について触れていなかったことに今更ながらに驚きつつ、今日は取り上げます。
過去に少しくらいはどこかで耳にしていたのではないかと、記憶をたどってみましたがその機会は全く無かったもよう。
今日の由来は自分にとっても眼から鱗な感じでお届けします。
■「とんねるず」の由来
彼らの芸名についてはいくつかがでてきました。
一つ目は、貴明さんのTと憲武さんのNを取って「とんねるず」となったという説。
二つ目は、当時二人が暗かったため「とんねるず」とつけられたという説。
三つ目は、「とんねるを抜けるとスターだった」という意味をこめてつけられたという説。
正解はというと、一と二の間辺りのようです。
というのは名付け親が存在するからであります。
その人の名は、当時お笑いスター誕生を手がけていたNTVプロデューサー井原高忠さんという人。
貴明のTと憲武のNをもじった「とんまとのろま」と「とんねるず」の二つを2人にを提案し、本人たちに選ばせたと言います。
帝京高校卒業後就職はしたものの、どうしてもお笑いの道に進みたいとお笑いスター誕生に挑戦した二人。
ちなみに「お笑いスター誕生」出場時は「貴明&憲武」の名で出ていたのだそう。
1982年「お笑いスター誕生」でグランプリを獲得しブレイクしたという事実を考えても間違いなさそうです。
「とんねるず」というコンビ名に関して井原さんは後に、脱線トリオ、てんぷくトリオに続く次代のお笑いスターになって欲しいという願い込めてつけたと語っています。
ただ一方で、素の二人を見て「暗い奴ら」と思ったのをかけたと語っているので暗い暗い「トンネル」でもあったようです。
さてそんなとんねるずの石橋さん。
若かりし頃は血気盛んな武闘派芸人スタイルで、数々の暴走事件を引き起こしてきたといいます。
確かに何が起こるかわからない「生ダラ」やNHKでのパンツ一枚での紅白など私の記憶にも鮮烈に残る、度肝を抜かれるような起こるべきして起きたハプニングは当時も話題の的でしたが、今だから言える?ネット社会の今だから全て残されてしまう?数々の足跡が面白すぎるので是非紹介したいと思います。
28年前、フジテレビ系「オールナイトフジ」では、飛びついた勢いでテレビカメラをぶっ壊すというアクシデントを起こしたという。
ちなみに金額は1600万円近くだったとか・・・
その数ヵ月後TBS系「ザ・ベストテンin静岡」では、御輿に乗ってステージに向かおうとしたところ、観客がヒートアップして、石橋をもみくちゃに。
そのことに激怒した石橋さんは観客に延々と罵詈雑言、暴言を吐き続け、さらに持ち歌を怒鳴り声で熱唱。
その様子がそのままお茶の間に流れ、視聴者からの抗議が殺到したという。
毎年恒例のフジテレビ系「新春かくし芸大会」で司会を務めた時などは、生放送でミッキーマウスに対し「どうせ中に汗だくのおっさんがいるんだろ!」と突如飛びかかり、頭を外そうとしたという。
スタジオは騒然とし、CMを差し込むこととなった。
(究極の怖いもの知らずですなぁ)
ギリギリのセクハラと暴言も石橋さんの特技。
「うたばん」ではZONEのドラマーで当時未成年だったMIZUHOに“チンチンの先っちょ”というギリギリアウトのニックネームをつけ視聴者から抗議が殺到。
テレビ界で数々の伝説を産み出したとんねるず。
そして手のつけられない絶対暴君石橋貴明さん。彼の活躍をこれからも見続けていたいものです。
でもテレビマンで同じ現場にいたら、毎回すごく緊張してハラハラの連続なんだろうなぁ。
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