「おっちょこちょい」 の由来
人の力量とは生まれながらに決まっている気がします。
私の持論としては人はそれぞれ100は最初に持っていて、それをどう振り分けられるかが遺伝情報であるということです。
例えばおしゃべりの上手な人はそこに50パーセントが費やされ、残りの50に他の能力が振り分けられる。
だから記憶力が人より劣って見えて、忘れ物が多かったり、想像力が足りないから同じことを何度も話していたりといった具合です。
それが顕著に見られるのは知的障害者と呼ばれる子供たちです。
確かに彼らは世間一般的な社会適応能力は劣っていますが、その分純粋さと創造性、集中力が勝っているので、根気の要る作業や、道徳認識力、そしてよく見られる音楽や芸術の才能で一般人(常人)を魅了するのことでしょう。
また、目の見えない人、鼻の利かない人、目の見えない人もしかり、五感という人間の必要不可欠と思われる能力の欠如した皆さんはそれを補うかのように、第六感が優れてきます。
より動物的本能に近づくとも表現できるでしょう。
そのため、危険察知能力に優れそれは「直感」に現れてきます。
そして、一般人(常人)には見えない世界が見えてくるのです。
といったことはもちろん私の想像でしかないかもしれません。
そんな私はどこが優れているかと申しますと、特に最後のほうでしょうかね。
更に空間把握能力であります。人が二メートルしか把握できないものが五メートルほど把握できるんですね。
そんな私にとって魅力的なのは足元しか見えない人。
すぐにつまずく「おっちょこちょい」な人。
そうなんです。
人間は無いものねだりを補いながらお互いに助け合って生きているのです。
■「おっちょこちょい」の由来
私からみるとこれ以上に魅力的かつカワイらしいものはありません。
「おっちょこちょい」とは、落ち着きがなく軽率な行動をするさまやそういった人のこと。言葉自体もかわいらしいですね。
でもいわれた本人はそれを自ら自覚すると共に
「気をつけながらもどうにもならない」というジレンマと絶えず闘っているようですよ。
おっちょこちょいは「おっ」と「ちょこ」と「ちょい」からなる言葉と考えられます。
「おっ」は驚いたときに発する言葉と同じ感動詞もしくは接頭語の「お」からきており、「ちょこ」はあちこちを動き回るさまを表す「ちょこちょこ」から「ちょい」については、僅かなことや簡単にできることを表す「ちょいと」と同じ「ちょい」からだそうです。
「落ち着きがなく小さなことで動き回り周りをハラハラさせる」と考えれば正に「おっちょこちょい」の由来といえますね。
おっちょこちょいは、1800年代後半より見られ、「出すぎ」とか「生意気」を意味する東京語と当時の辞典には紹介されているそうです。
主に東京で使われていた俗語が広まって今に至るようです。
「おっちょこちょい」=「出すぎ」「生意気」
これには納得できません。
まぁそれは現代の使い方ですしね。
だって「おっちょこちょい」の人は周りが見えなくなるほど必死なんです。
目立つのは仕方がありません。
もちろん本人も意図していません。
生意気なはずありません。
ただただ必死なのです。
それが可愛いんです。
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