「世知辛い」 の由来
「今の世の中は世知辛い」よく聞く言葉ですが、「世知辛い」をなんとなくの理解で流してしまっていたので、本当に世間は世知辛いのかを簡単に検証してみましょう。
世知辛いの意味を調べてみると、世渡りが難しい、暮らしにくい、金銭に細かくて抜け目ない。
せこい、けち、世智辛い、計算ずくで、心にゆとりがない。
打算的でせこせこしているといったところがその意味として見つかった。
まぁとにかくいいことなし。ゼロですね。
今の日本、本当に世渡りは難しいのだろうか?
例えばあなたはいくらあれば生活できますか?と聞かれたのならそれぞれの常識の違い程度に幅はあるものの、発展途上国の年収に比べたら数十倍、数百倍の数字が出てくるのは確かなのである。
もちろん物価の違いはあるのだけれども。
金銭に細かくて抜け目ない、せこい、けち、計算ずくで、心にゆとりがないといった項目にしてもすべてが金銭がらみであると理解でき、つまり「日本は世知辛い」を認めると、世界で一番豊かな国はせこくてけちでその上心にゆとりもないギスギス国となるのであります。
先日のテレビで年収が低いと結婚できないという見出しを見つけました。
300万円以上の男子の25%が結婚しているのに対してそれ以下だと10%を切るのだという。
つまり「ゆとり」がないと結婚できないということになります。
こういった評価は、お金がないと心のゆとりもないというようにも受け取れてしまうのは私だけでしょうかね。
なぜゆとりがないと結婚できないのか。
それは間違いではないだろうか。
ゆとり、幸せ、安らぎを求めてヒトは結婚するのではないだろうか。
つまり日本人の考え方が間違っているような気がしてならないのであります。
世知辛いの由来
「世知」は、仏教用語で「世俗の知恵」を意味するそうです。
それが日本においてはいつのまにか「世渡りの才」という意味も持つようになりました。
更にそれが、「勘定高い」とか「せこい」という意味も持つようになったそうです。
この辺りから日本人は間違えてしまったのでしょうか。
世俗の知恵=儲けるための知恵?
「辛い」については、その前の「世知」を強めるためのものでありましたが、「世渡りがしにくい」という訳は、「世渡りの才」が「辛い」から発生したものではなく、「勘定高い」に「辛い」で世知辛いの本来の意味である、「勘定高くて抜け目ない」からきたようです。
「暮らしにくい」や「世渡りがしにくい」といった用法は「世知辛い人(勘定高い人)が多い世の中は暮らしにくい」ということから発生したとのことです。
ということは、お金に細かい人ばかりで困るということになるのでしょうか。
どうやら私は勘違いしていたようです。これなら同感です。
「世渡りが難しい、暮らしにくい」のは、お金にうるさい人が多いからなのです。
というか、世知辛いの意味を十分に理解せずに「世知辛い世の中」が成立してしまっているのかもしれませんね。ややこしくてすみません。
世知辛いの語源はもう一つあり、本来は「切辛い」と書き
「物事が切迫していて、容易に乗り切れない」といった意味からではないかという説もあるそうです。
「世知」の意味・用法の変化が明らかなのでこの説は考えにくいとのことですが・・
ただ、今現在のこの世知辛い世の中は、物事が切迫していて、容易に乗り切れない気が私はします。
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