「寂しい・淋しい(さびしい)」 の由来
学生時代って考えたことそれほどなかったのですが、社会人になって、人に会う機会が少なくなると無性に「さびしい」という感情が芽生えてくるものです。
それでも一時的に実家に帰ったり、おぼんや正月と言った場合だと挨拶回り、同窓会といったオプションがあり「さびしい」を忘れてしまうものです。
前なら鬱陶しいと思えたことが、忙しいに鎌かけて自分にとって大切なことであったと再認識するのは自分が歳をとったせいなのかもしれません。
先はまだまだ長いとはいえ最近は一人暮らしのご老人の気持ちなども考えられるようになりました。
阪神大震災から17年を経過した神戸でも社会問題となっているそうで、震災時の助け合いが薄れ、最近は被災者の孤独死が増えていると聞きます。
非常に悲しいことですね。
社会との繋がりというものが活力となり、命を支えているというのは人間誰しも忘れたくないものです。
ごくたまにそのような一人暮らしのご老人のお宅にお邪魔することがありますが、こちらが驚くほどによく「しゃべる」んですね。
内容は特に無いのです。
相手は誰でもいいのです。自分でなくても。
ただただ、喋りたいのです。伝えたいのです。実感したいのでしょう。
自分が生きていることを。
「さびしい」の由来
万葉集の時代に多く使われていた時は「さぶし」でありました。
それが平安時代になって「さびし」となり、それがさらに中世末期から「さみし」に変化します。
そして「さびし」と並用され今日に伝わるようです。
現代でも両方の形が用いられますが、古くから使われた「さびしい」を標準語形と見る考え方がどちらかといえば多いようです。
「さびしい」は金属の「錆」からでた言葉だそうで、《静かで心細い、物悲しいこと》を意味しました。
錆が生じるとザラザラと荒れてくることから、平安時代、景色が荒れているというときに「さびし」という言葉が使われたようです。
貴族が没落すると、その境遇についてもいったと言いますから現代においても由来、使い方に大差がなかったと言えますね。
「寂しい」と「淋しい」の違い
更に掘り下げて、私も今まで曖昧であったこの二つについては、「寂しい」は「家の中の人声が細くなっていく様子」から「環境的な静けさ」を表し、「淋しい」は「医学用語の淋病の液体が淋(したた)る様子」から「肉体的な淋しさ」を表すのだそうです。
どちらも同じ意味という人も多いようですが、「寂しい」を使うと芭蕉の「寂(さび)の境地」のような世界が連想され品格が高く精神性を表しているように見え、「淋しい」だと「淋病の淋(したた)る状況」が連想され品性が若干低く感じられ、更に肉体的なさびしさと解釈すれば分かりやすいかもしれませんね。
現代のご老人は長生きです。
90は当たり前(鼻垂れ小僧)、100歳生きて初めて長生きといったくらい元気な方が多いですよね。
現代の医学なら体のほうはいつまでも元気でいられるかもしれません。
ただ多くの老人が抱えている悩みは「寂しさ」のほうでしょう。
体は錆付くことなく快調でも、心の錆のほうは毎日磨き続けないとなかなか落ちないものです。
「寂しい」と「淋しい」の違い | ズバリ解決!「違いガイド」 - 2013年7月22日, 6:25 PM
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