「Twitter(ツイッター)」 の由来
いつもブログをチェックしていた有名人がある日「Twitter」について語っていました。
「素晴らしい機能である。フォローワー(自分のつぶやきを聞いてくれる人)も2000を越えた。でも今日限りでやめようと思う。」
あまりにも便利で魅力的なため、仕事が疎かになりのめり過ぎてしまうといった理由であった。
もちろんその時には私は「Twitter」は名前ほどでしか認識がなく、その活用法も便利さも知りませんでした。
その機能緒を簡単に説明すると、140文字以内の「ツイート」 (tweet)と称される短文を投稿する情報サービスであり、その分類はミニブログとかマイクロブログといったカテゴリーに近い。
その「Twitter」の名前の由来については、「さえずり・興奮」とか「無駄話」他にも「なじる人・嘲る人」といった意味があるのだそう。
これは有名な話ですね。
tweetは「鳥のさえずり」といった意味で、日本版公式サイトでも「つぶやき」と意訳され定着していましたが、現在はツイート (tweet) に統一されたようです。
このツイートの一番の効果は、「ゆるい」コミュニケーションが生まれることではないでしょうか。
生真面目な日本人に欠けていたゆるさが一気に広がった理由のひとつに間違いなく入るのではないかと思われます。
それとリアルタイム性が高く、どこにいても自分の状況を知人に知らせることが可能で逆に知人の状況を把握したりすることも可能となります。
この機能は時間のないビジネスマンに有効かもしれません。
時間の有り余っている自分はそれほど重要視してはいませんが・・・
ただ、一方とし、不確かな情報によるデマの拡散などチェーンメールと同様に誤った情報が拡散するケースが大いにあります。
またリアルタイムなのでその拡散スピードが速い。
その他にも飲酒運転や無免許運転、未成年飲酒、窃盗といった犯罪告白問題も大変な社会問題となっています。
要は使う人次第ということではないでしょうか。
私は震災後、嘘の情報が流れていたテレビや新聞報道の、裏の真実(本当の真実)が知りたくて「Twitter」を始めました。
そこには確かに一人ひとりの思いや現場の真実がありましたが、その中には知らなくてもいいような情報、先ほどのようなデマや煽りといったものも存在しました。
そして現在は開店休業状態。
ほとんど利用していません。
ただ、一つ未来の形が見えてきた気がしました。
それは世論を左右しかねないテレビ・新聞等の巨大メディアや政治についてのチェック機能としての役割です。
最近はリアルタイムのテレビでも、字幕に視聴者の意見を載せる番組が出てきました。
私も番組内容について厳しい意見を書いて「Twitter」で投稿してみました。
すると、数分で掲載されたのです!
その一件ではいくつかのことを考えさせられました。
一つは単純に自分の意見が載ったことの嬉しさ。参加している喜びと実感。
そしてもう一つは、自分が書いたことへの責任です。
この二つ、巨大メディアとインターネットが組み合わされた報道がとりあえず一つ先の「在り方」の気がしています。
しかし、それでは儲からない人、それを使って儲けようとする人がいる限り、常に情報公開のあり方は姿を変えていくことでしょう。
我々が知りたいのはいつの時代も「真実」であることに変わりはなく世の中を変えていくのも「真実」以外にない気がします。
手段は確立されつつありますが、問題は一人一人の倫理観なのかもしれません。
最近のコメント