「山勘(やまかん)」 の由来
私は人によく「勘がいい」と言われます。
しかし私はその言われ方にあまり納得できません。
それはなぜかというと・・・
「勘」辞書でひいてみるとその意味は、物事を直感的に感じ取る能力。第六感。
よく調べて考えること。罪を調べただすこと。
勘の語義としてあげられるのは、直覚いわゆる〈第六感〉、虫の知らせ、無意識および下意識、練習による機械化や自動化、技神に入るの妙、神徠(しんらい)、霊感、悟り、禅、三昧(ざんまい)以心伝心、手加減、こつ、呼吸などなど・・・
当たっているものもあり、そうでないものもあり・・・もちろんこれは私の考え。
ある大学教授の言葉を見つけました。
「勘というのは、棚ボタ式に出てくるものじゃない。それまでに経験したことが体の中に残っているから、ピンとくるんです。私の考え方はまさにこれかもしれません。
■「山勘」の由来
山勘とは、勘に頼って成功を狙うこと。当てずっぽうのことも言います。
私が「勘がいい」に対して嫌悪を覚えるのは、この言葉によるものかもしれません。
当てずっぽう、つまり適当にこなしたが結果が良かったといった風に聞こえるからかもしれません。
「山勘」の由来について調べてみると、二つの説が出てきました。
一つ目は山師の算勘(=計算)からきているという説。
鉱山などを採掘するときに、頼りとされたのは職人の勘でありました。
ただその為に、当たり外れが多かったと言います。
そういったことから、うそつきや詐欺師の事を、「山師」と言うようになったといいますが、山師がペテンというった解釈と、今回の山勘については切り離して考えたほうがよさすです。
「山師の勘」という事で、「ヤマカン」と呼ばれるようになったとうのがこの説。
もう一つは山本勘助からきたという説。
ご存知の方も多いと思いますが、山本勘助とは武田信玄に仕えたと天才的な武将であり兵法家。
はかりごとを巡らし、数々の作戦を立てる軍師という役がその仕事。
勘助は軍略や計略、奇襲を様々に巡らし軍を操るのですが、そこから策をもてあそぶことやごまかすことを「山勘」と呼ぶようになったというのがこの説。
つまり「山本勘助」の名前をあだ名のように略したということですね。
ただこちらの説は、言葉の遣われ始めた時代と人物の活躍した時代の違いや策略に長けていた勘助が当てずっぽうに変化するといったことが想像しににくいため、その可能性は薄いようです。
つまり、「山師の勘」という説のほうに分が有るわけですが「勘」の語源としては「山本勘助」の方に分がある気がします。(もちろんそのような事実はまったくありません)
当てずっぽうか、経験から導き出される知略か。
それをとぼけていることも、もしかしたら戦略の一つなのかもしれません。
ベーリング海のカニさん - 2017年9月23日, 6:54 PM
そうなんだ
今まで昔の船を操る時に使ったとされる”山を立てる”って
言うのから来てると思ってた。
船を港に入れる時に、周りの山とか地形を読んで
船が座礁しない様にしてたってやつ