「大晦日(おおみそか)」 の由来
カウントダウン、大晦日のこの時を私はプライベートですごした記憶がほとんどありません。
それはとあるライブ会場のバイトをしていることが多かったからです。
たくさんの人々と迎えるということに寂しさはありませんが、自分は浮かれた気分は表現できないのでなんとも複雑な状況。
人ごみは苦手なほうなので、他の日に休みをとればいいわけですが、その日、その時といったイベントの時には少し損した気分にはなります。
ただ、客観視してみると大晦日もカウントダウンも人間が決めた期日であり世界中で時を同じくすることはありません。
日付変更線が動いていくだけ。
12・30も1・2も何も変わらず日は昇り、何も変わらず深夜十二時はすぎてゆくのです。
なんて夢もロマンもない私。いえそのように考えないとことしもバイトにはいけません。
■「大晦日」の由来
旧暦では、月の30日目にあたる日を「晦日(みそか)」と呼んでいたそうです。(二十九日で終わる月は「九日みそか」とも呼ばれるらしい)
晦日の「みそ」は「三十」とも表記するのだそうで、三十路を思い浮かべると、なるほど!と手を打ってしまいました。
それが転じて「月の終わり」という意味となり、更に一年で最後の日と変化していったのです。
12月31日には「大」をつけて「大晦日(おおみそか)」と呼ぶようになりました。
大晦日は別名「大つごもり(「つごもり」は「月ごもり」が訛ったもの)」ともいい、これは月が隠れて見えなくなる頃を意味します。
大陰暦では15日が満月とされ、月はその後だんだん欠けていき、最後には月が見えなくなることから、「三十日」に「晦日」の字が当てられたとされているそうです。
最初にあんなことを書きましたが今、書き終えて思うのは人間には区切りというものがやはり必要です。
月の区切りから一年の区切り、仕事の区切りから人生の各々の区切り。
それは七五三から入学式卒業式、成人式、厄除け、還暦、銀婚式に白寿まで・・・
そして最後の区切りがお葬式。
これは周りがその人に対しての気持ちを断ち切るための区切りですね。
そうしたことが、最近は失われつつあります。
最後の区切りである葬式ですら簡素化され始め、成人式などはただの同窓会元旦は意味も分からずにお寺や神社にその時だけの崇拝者とし人の列ができるイベントとなりつつあります。
クリスマスやバレンタインなど外国の文化も、恒例化するとハロウィンとか○○の日といった本来の日本には無い考え方の新しいイベントも商業化のために定着させようといった波も押し寄せてきています。
もちろんそういったことに対して、否定的でなく受けれていく寛容さを持っているのが日本人かもしれませんが、昔からある行事の一つ一つに目を向けてからにしたいものですね。
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!絶対に笑ってはいけない空港(エアポート)24時
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