「エンガチョ」 の由来
児童期にはいくつかのご法度がある。
糞便を踏んでしまう・トイレの便器に触れてしまう・ゲロってしまう・・・
不浄なものにこの時期は非常に敏感で、誰が最初に堰を切るかぐらいの勢いでこの言葉が木霊する。
「エンガチョ」
きったねー エンガチョー バイ菌バイ菌 エンガチョー
人って・・・子供って残酷である。
特に弱いものや言い返せない相手だとそのまま余計なあだ名がついたりしていじめの第一歩へと展開されることもある。
自ずと「学校では大便をできない」という暗黙のルールがこのように形成されてゆく。
もちろん自宅では皆ブリブリしているし、もちろん自分の手で紙を取りケツを拭いているはずなのにである。
エンガチョと言ったからには自らの清浄を守らなければらない。
そこで生まれたのが防御姿勢。
これについては地域差などもあるようだが代表的なものをいくつか紹介してみよう。
両手を用いて人差し指と親指で輪を作って交差させる。
右手の人差し指と中指を交差させる。右手の中指と薬指を交差させる。
親指を人差し指と中指の間に入れて握り拳を作る。両手の人差し指を繋ぎ、第三者に切り離して貰う。
更にプラスして腕や脚を交差させるとより強い防御力を発揮するらしい。
■エンガチョの由来
エンガチョとは、日本における民俗風習のひとつとして数えられるという。大層な存在のようだ。
主に児童の遊びとして取り入れられたもおで、不浄のものを防ぐために囃したてる子供による口遊び。
地方や時代で様々な呼び名が存在するらしい。
エンガ、ビビンチョ、エンピ、バリヤーなど・・・
辞典などでもその由来は不明とされているが、歴史学者である網野善彦さんによるとエンは穢や縁を表し、チョは擬音語のチョンが省略されたものであるという。
つまり「縁(穢)を(チョン)切る」となるわけだ。
ただし、他にも「因果の性(いんがのしょう)」の転訛とする説や、(因果性とは、2つの出来事が原因と結果という関係で結びついていることあるいは結びついているかどうかを問題にした概念のこと。)「縁が千代切った」の略であるといった説があるのだそうだ。
後輩が話の中でエンガチョを使った。
見せびらかすようにイチャイチャするカップルの間を無理やり切り裂いてやったという話だった。
なぜそこで、エンガチョなのか?
彼は縁をちょん切るという意味で使ったのだろう。私にはそれが理解できなかった。
もしかしたら世代によっても使い方が異なるのかもしれない。
しかし、由来を見て言葉を聞くと妙に納得させられる。
私もそのうちどこかでわざと、切られたくない縁をちょん切ってやりたい。
ニシシシシシシシ
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