「木偶の坊(でくのぼう)」 の由来
親の買ってくるお土産に当たりは無くて、いつもどこか外れているんです。
サイズの違う靴に、絶対に着ないデザインのTシャツ。
賞味期限が切れるまでに食べきれないほどの食材や、自分は飲まないのに当てずっぽうで買ってくるアルコール類。
どれもそんなもの買ってくるなら現金くれよといった無駄遣いにしか見えないそうな数々の品々。(罰当たりな息子だなぁ~)
ただ、一つだけ値段、満足度、持ち帰りやすさなどを考慮したうえで合格した品がある。
それは岩手へ行ったときのもので、宮沢賢治関連の品。
名前は「でくのぼう」と言い、15センチほどの木彫りの人形。
ビジュアルはあの有名な賢治のマント姿をあしらい、首から上だけが斜めになりながらクルクルと回る。
私は文学少年でもないし、*雨にも負けず*ですらその時までよく知らなかったのですがその人形の姿になんとも哀愁を感じ、賢治そのものへの好奇心も抱かされたものです。
引っ越すたびに部屋の一番高い場所に神様のようにまつり拝みこそしませんでしたがその姿に勇気と希望それに夢を与えられた気がします。
■「木偶の坊」とは
「でくのぼー」 →とは、でくのぼうで「木偶の坊」と書きます。
直訳すると、役立たずという意味。
木偶の坊 辞書より
1、操り人形。でく。
2、気のきかない人。役立たず。また、そういう人をののしっていう語。
木偶の坊とは、平安時代の「くぐつ」という木彫りの操り人形からきたと言われています。
その人形が「木偶の坊」と呼ばれるようになった理由については、「でくるぼう」とも言われたことから、「出狂坊(でくるひぼう)」を語源とする説や、「手くぐつ」が訛った「でくる(坊)」から「木偶の坊」になったとするといった説が有力だそうですが正確なことはわかっていないそうです。
更に、その木偶の坊なぜ役立たずの意味となったかというと、その人形そのものが、手足のない木の棒のようなものであったことからとか木の人形を無能な人に喩えたことからとか諸説あるとか。
ただ無能であることや、木の棒にたとえることから、「木偶の棒」と書くのは誤り。
その理由は「ぼう」が、親しみや軽い嘲りを表す接尾語として用いられていった理由からだそうです。
「雨にもまけず」の文章は、賢治が病気で息絶える少し前に、病院のベッドで手帳に書き残した文章だそうで本人は全く発表するつもりのないものだったといいます。
でもその文章が震災後の東北の人々をどれだけ勇気付けたことでしょう。
その解釈は難解で、賢治自身が精神病も患っていたことからその意味するところの真実は我々誰にも分かりません。
ですが自然に対してのその謙虚な気持ちは文明社会に生きる我々に忘れていたものを呼び起こさせてくれた気がします。
最近のコメント