「うやむや」 の由来
問題を起こした会社は言葉を濁す。
もちろんマニュアルに沿って広報なんかがマスコミ対応を強いられる。
質問の内容とは全く違う見当はずれな答えを涼しい顔で発してみたり、前回と違う答えに突っ込みを入れられて言葉を選んでいるのが聞いてる我々にもわかるくらい丁寧に、時折それを感じさせないために目を伏せたりしながら。
中には原稿の暗記や棒読みなんてケースも時には見られる。
謝るのは最終手段、取りあえずは自らの非は認めないそのスタンスの根底はその先に控える訴訟で自らが不利になる状況証拠は何の特にもならないというこの国のやり方に則っている「だけ」という態度であろう。
誠意を感じないその姿は、テレビの向こうの被害者の感情を逆なでしたりするがテレビの中の主役たちはそんなこと意にも介さない。
それはこの国の人が持っている共通意識、「白でも黒でもないグレー」という「通例」からなのかもしれない。私は「またうやむやにしやがって・・」と心で呟く。
うやむやって「有耶無耶」と書く。
自分で使いながら不思議な言葉があるものである。
「うやむや」物事がはっきりしない曖昧なこと。
思いわずらって胸がすっきりしないこと。またそのさま。
自らに問いかけるとある事実に気づくのだ。
私は無駄に正義感が強く、そして物事には必ず白と黒を付けてしまうタイプなのである。
つまりこの「うやむや」って言葉は大っ嫌いな部類。
調べてみると漢字が存在したことを知り驚く。
どうやら「有耶無耶」と書くらしい。
「有ると無し」が交錯するのが曖昧なさまをうまく表現しているが「耶」については想像できない。
「うやむや」の由来
「うやむや」の由来はうやむやなのだそう。
若干ふざけてしまいましたが実際はっきりしていないとのこと。
「もやもや」などの類似ということもなく、漢字「有耶無耶」は語源との関連はなし。
「ありやなしや(有りや無しや)」という、ひらがな言葉がその語源ではないかと言われる説が有力だそうで、これが漢文調の「有耶無耶」と漢字に置き換えられ、(有耶無耶が元々漢文で、訓読がありやなしやではないかという逆の説も)「うやむや」と発音されるようになったのではないかと言われているみたい。
その発生時期も実に曖昧(うやむや)で、平安時代の「伊勢物語」の中では「名にし負はばいざ事とはむ都鳥わが思ふ人はありやなしや」とあるそうですが、この場合の「有りや無しや」は無事であるか無いかを差す。
「源氏物語?」では「ありやなしやを聞かぬ間は」と出てくるが、ここでは「真実か否か」を意味する物として使われていたりする。
これ以後、いつ「うやむや」が誕生したのかはうやむやなようだ。
そんな感じで今日は実に「うやむや」に夜が更けていく。
「うやむや」は調べてもなんだか煮え切らないからやっぱり好きになれそうもない。
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