「おかんむり」 の由来
自分の中で死語だと思っていた言葉を日常社会で普通に用いている人をみると自らが不思議な世界に飛び込んでしまうことがある。
てっきり、少しぶりっこしたアイドルの動作に対して使うような特殊用語だと思っていたが現生では実はそうではないらしいということが最近判明し愕然とした。
「おかんむり」
私自身は死ぬまで使うことはないであろう。
こうして文章にでも起こす機会はあっても口に出すことはあり得ない。
そうか、ただの食わず嫌いにもにも似た、使わず嫌いなのかもしれないなとここでは冷静に分析してみたりもする。
使っている人をみるだけで若干イラッてくるのでそのイラッが言葉自体のせいなのか、それともそれを使う人の勝手なイメージからくるものなのか・・・
皆目見当はつかないが、何かの呪文のように人生でたまに出会うその窮屈な時間が今後も私の人生の旅路の先に待ち構えているのかと想像するだけで多少吐き気をもよおしたりする。
■「おかんむり」の由来
「おかんむり」は漢字で書くと想像通り「御冠」となる。
冠は頭にかぶる物の総称と考えると分かりやすいようだ。
機嫌を悪くしたり少し怒っている状態や不満に思っていることを「冠を曲げる」と昔は言っていたらしい。
冠をかぶる・・・いわゆる貴族階級の中で生まれた言葉に間違いなく、古代の貴族が上役に対して反抗心を示すときの態度が「冠を曲げる」と考えると納得できるのではないだろうか。
頭にかぶるものが曲がっているということは、つまりそっぽを向いている、ということ。
そこのあるのは不満以外の何物でもない。
場所も大いに関係があるようだ。たとえば「へそを曲げる」や「つむじを曲げる」がそうでいわゆる体や頭といった主なる部位の中心部分が別の方向を向くことで反抗心を表してきた。
頭の頂上ののせ物はどこの国でもどの時代でも権力の象徴の表れであったことを我々はよく知っている。
「おかんむり」についても以前は「曲げる」がついていたと考えられるが、でもそれが取れたそのおかげで怒っている度合いが少ない印象にかわり、若干不満の少ない表現へと変わった。
すでに権力をもったものがへそを曲げると甚大な被害がでることが容易に想像され「おかんむり」程度の方が部下も扱いやすかったはずである。
そういった知恵の中から願望も込めて外されたと考えられなくも、、、ないんじゃないかな。
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