「仏」 の由来
サンスクリット語に仏教と最近調べた言葉の共通点はインド。
ということで、次に調べるのはやはりこれではないか、
ということで、今日は「仏」について。
私のなけなしの知識では、仏=ブッダだったと思いますが、なぜ日本では「ほとけ」という読みとこの「イ」にんべんに「ム」というカタカナにも分解できる組み合わせの漢字一字で表したのか。
知られていそうで以外に分らない。
悟りのヒント探しの旅にでてみましょう。
そもそも仏とは?
仏教における最高の存在であり、悟りを開いた者のことだそうです。仏陀のこと。
仏陀(ブッダ、梵:बुद्ध buddha) 悟りの最高の地位「仏の悟り」を開いた人を指します。
サンスクリット語buddhaは「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」を意味するそうです。
では悟りのレベルによっては仏陀はたくさん存在するのでしょうか?
基本的には、仏教を開いた釈迦ただ一人を指すそうです。
そうです。お釈迦様でしたね。
私の知識は手塚治虫先生の「ブッダ」くらいですが思い出しました。
お釈迦様は、本名(俗名)ゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)漢訳では瞿曇 悉達多(くどん しっだった)であり、悟りを開いた人という意味で「ブッダ」と呼ばれたのでした。
では、仏という漢字はどこからきたのでしょうか。
最初に勉強不足の点を。仏は佛とも書きますね。といことでカタカナ分解説は白紙に戻ります。
「仏」(ぶつ)の字は中国で用いられた略字として知られているそうで、唐の時代にはすでに使われていたそうです。
日本でも有名な空海、最澄も使用していたという記録があるそうです。
ということは平安時代ですか。
中国においてbuddhaに「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国に”buddha”に当たる意味の語がなかったためと考えられているそうです。
この字は「人」+「弗」(音符)の形成文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であって、局面的な否定を含んでいるそう。
「……ではありながら、そうではない・背くもの」という意味を持っています。
この表現は少し難しい解釈ですね。つまり右側の人間を表す「人」を左側の「弗」が否定すると・・
「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となります。
深い漢字ですね。妙に納得です。
ちなみに「仏」の右の「ムは、「私」のから来ていると見られているそうです。
なぜ「ほとけ」と読むのかの由来。
いくつか説があるそうで、最有力なのは「ブッダ」が「浮屠(ふと)」と音写されそれが「ほと」に転じたというものだそうです。
更にこの「ほと」に「け」がついた経緯にも二つの説。
その道の人を意味して「家」であったというものと、霊妙なものを示す接尾語「気(け)」であるという説であります。
スルーするところでした。
「浮屠(ふと)」についてはブッダに同じだそうです。
なるほどこれは有力そうですね。
可能性が低くてもあと二つの説もご紹介します。
1、仏教伝来時に「ほとほりけ」という疫病が流行したから。
宗教も流行り病??
2、仏教は煩悩を解脱すること。この「解け(ほどけ)」が転じて「ほとけ」となった説。
「解く(とく)」は「ほどく」とも読むのですね。
しかし解脱から大切な言葉の読みを生むとは考えにくいきがします。
漢字の多さと内容の深さに頭がフリーズしてしまいました。
今日は仏でした・・
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