「歌舞伎町」 の由来
「歌舞伎町」 の由来についてまとめたエッセイです。由来だけ手っ取り早く知りたい人は下のほうまで飛ばして読んでね。
完全にチョイスを誤った。
親戚の葬儀のために上京し、通夜を終えて予め予約した宿泊先に向かう。
予約が二日前で休日だったこともあってなかなか見つからなかったのだが、リーズナブルで素泊まりなら申し分なさそうな施設が会場から電車で数駅の新宿にあったので迷わず予約した。
駅からも徒歩六分ほど。九時過ぎの新宿の賑わいには驚かされる。
キョロキョロ見渡したり指さしながら、この旅の目的が何であったかをしばし忘れいくつかの買い物を済ませながら向かった。
地図ではだいたいわかっていたのだが、そのホテルは歌舞伎町の中ほどですぐそばにはアダルトゾーン。
何とも気まずく言葉もなくチェックインした。
中に入ればいたって普通のビジネスホテルなのだが、なんとなくソワソワする。
それはきっとそこに行きつくまでに通った道の景色が頭に焼き付いているからだろう。
眠らない街に泊まっているのだから遊びに行かなければ損。
そんな強迫観念が頭にこびりついて離れない。
結局その日はあまり眠れず寝不足のまま次の日を迎えた。
次は違う用事をつけて是非この場にもう一度泊まりに来たいものである。
■「歌舞伎町」の由来
映画館、漫画喫茶、居酒屋、キャバクラ、風俗店やホストクラブ、ラブホテル、パチンコ店・・・・
「眠らない街」にはたくさんの魅惑が詰め込まれている。
「東洋一の歓楽街」と言われてきたが、最近ではその様相はさらに変容し「欲望の迷宮都市」とか「外国人労働者の新租界」とも呼ばれているのだという。
今の歌舞伎町は世界でも有数の夜の盛り場に数えられているそうで、中国や韓国からの観光ツアー客も多いとか。
確かにホテルの宿泊者の客層でもそれを感じた。
だが、その名前が示す通り、「当初の計画からはそんなはわけではなかった」というのが本当のところらしい。
第二次大戦後、大空襲で一面焼け野原となった東京の街の中で現在の歌舞伎町一番街付近には歌舞伎の演舞場を建設し、これを中心として芸能施設を集め新東京の最も健全な家庭センターを建設するという復興事業案が計画されたのだという。
そのためにこの町は歌舞伎町と名付けられた。
だが結局は、財政の面などからこの構想は実現されることはなく、新宿コマ劇場や映画館が建設されるにとどまったのだという。
なるほどの分かり易い由来。
歌舞伎町一丁目および歌舞伎町二丁目の人口は2000人程度。
しかし、それより多い3000もの盛り場が存在するのだという。
男ならだれでも一度は飛び込んでみたい街というのが本音だろう。
次は違う用事をつけて是非この場にもう一度泊まりに来たいものである。
ラリン - 2018年1月7日, 9:30 PM
もっと知りたいです