「関東・関西」 の由来
日本には色々な地域があります。
東北、信州、中国、四国、それに今日のテーマである、関東、関西。
東と西という違いだけなんだろうけど、この「関」は一体何を表しているのだろうか。
私の考えでは、まだ徒歩が主な交通手段だった時代に通行手形を要する「関所」ってのがあったという事実から、箱根から東を関東、西を関西でどうでしょうという憶測を巡らしたわけですが、この考え方では中部地方を説明できないわけです。
それに関西がどこからなのも正直分かりません。
今日はその辺のところ調べてみましょう。
関東 関西の由来
やはり関所がポイントのようです。
「関西」と「関東」の境の関には幾つかの説があるようで、それは時代によって境目の概念が徐々に変わってきたからのようです。
昔からあった区分けとしては、滋賀県(近江)の逢坂の関。(西に権力があった時代)
鎌倉時代以後は少し変わります。鈴鹿、不破、愛発の3つの関で分けられました。
愛発関(福井県。滋賀との県境近く)、不破関(岐阜県。滋賀との県境近く)、鈴鹿関(三重県。滋賀との県境近く)。
つまり、畿内5国と近江、伊賀、及び山陰、山陽、南海、西海が関西。(西に権力があった時代)
それより東が関西といっていたようですね。
関が原のある岐阜県辺りとする説もあります。(西から東への分岐点)
1600年の天下分け目の決戦。
この「関が原」の 戦いの勝利によって、関東圏が生まれたともいえるようです。
その後の箱根の関で分けるという考えもあります。(東に権力が移ってからの時代)
関東の「関」は、箱根関(神奈川県。静岡との県境近く)碓井関(群馬県。長野との県境近く)江戸時代以後は、そこを江戸の防波堤としたからでしょうね。
こうしてみると、時代の流れにつれて「関」も西から東に移動していったと説明できますね。
では真ん中は?
これとよく似た表現に西日本と東日本という言い方もあります。
一般的には日本列島の中央に名古屋(愛知県)を置いてそれより西を西日本、東を東日本と言うことが多いようです。そして愛知県周辺が「中部地方」となります。
ちょっとしたうんちく
本拠地が名古屋の野球の「中日ドラゴンズ」はこの「中部日本」からきています。
ついでに関東の人々(私も)へ、名古屋は関西ではありませんので悪しからず。
皆さん怒っておられます。
ということで中部地方の疑問も解けました。
つまりは・・
関東 関西の「関」はやはり関所のことであり、それも時代の変化と共にその範囲が移っていった。
というか元々「関東」はなかったであろうと考えられます。
関というのは守るべき権力の為に設けられるのですからね。
ただ日本を大きく見ると更に東日本、西日本という言葉が生まれ、
真ん中が生まれました。中部地方です。
元々はっきりとした区切りのなかった真ん中に突如飛び込んできたのです。
東だ西だと言っていたら「俺たちは国の真ん中に住んでいる」と宣言されてしまったようです。
一番得をしたのは東と西が行き来する真ん中の名古屋なのかもしれませんが、今度はこの「名古屋」が気になりだしました。
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