「愛想(おあいそう)」 の由来
「愛想(おあいそう)」 の由来についてまとめたエッセイです。由来だけ手っ取り早く知りたい人は下のほうまで飛ばして読んでね。
不思議な言葉を見つけました。
「愛想」
愛想がないだと「そっけない」とか「つっけんどん」
(つっけんどん・・ぶっきらぼう 不親切 冷淡 邪険な など)
愛想が尽きるだと・・好意や信頼がもてなくなる
こう比べてみておかしいことにお気付きでしょうか?
「愛想」ってなんでしょう?説明できないんです。
そこで「愛想」だけ調べてみると、
【1】 人に接するときの態度や人当たりのいい態度のこと。
【2】人に対する好意・信頼感。
【3】「お愛想」の形だと
客などに対するもてなし・心遣い
相手の機嫌をとるための言葉・振る舞い
飲食店などの勘定。
ということです。
3番はとりあえず例外として、
1番については「愛想がない」にあてはまり、2番については「愛想が尽きる」にあてはまるようです。
言わんとしていることは理解できるのですが、どうもこれだけでは「愛想」が理解尽くせない気がします。
そこで、その由来を調べてみると、なんと3番が登場するわけです。
「おあいそ」の由来
おあいそといえば我々はすし屋さんの勘定を想像しますよね。
しかし、おあいそは本来、お店側が言っていた言葉なのだそうです。
「お愛想がなくて申し訳ありません。」と断りを入れて(下手に出て?)お客に勘定書を出していたのだそうです。
でもよく考えてみてください。
意味そのまま、もし客がこの言葉を今のように使ったなら「愛想のないこんな店二度と来るか。勘定にしてくれ。」となってしまいますよね。
使う人を間違えると全くもって暴力的ケンカ腰となってしまうのです。
この不思議な逆転(勘定の意味のおあいそ)が見られるようになったのは、明治時代の雑誌「風俗画報」のなかだそうです。
庶民の暮らしや流行を紹介したこの本の京都の欄で「勘定をあいそうといふなど尤も面白く存知候ふ」と紹介されたとか。
これを元として全国に広まったと考えられるそうです。
ど~も私の見たところ、この京都と丁寧語の「お」がポイントのようですね。
ちょっとしたシャレや関西ナリの「粋」が混じったのかもしれません。
そして現代の我々といえばもちろん「おあいそ」は愛想から来ているとも知らずにすし屋さんで「おあいそ」と粋な振りして使ってみたりします。
またここで私などは悩んでしまうわけです。
最近のすし屋といえば「回転寿司」なわけで、ファミリー向けにこれ以上にない
接客で出迎えてくれるわけですが「おあいそ」に違和感を感じるのです。
昔のすし屋といえば、簡単に入ることはできず、親父も頑固というのが相場。
当然値段も高い。そうそうは行けない店で高い金を出しながら愛想がない。
そんな店に帰りに「お愛想!」と叫ぶのはなんだか矛盾していて嫌味な感じでシャレがきいててとっても粋な気がする。
だから「おあいそう」の由来を知った今は、回転寿司では「勘定お願いします。」でよいと胸を張っていえる。
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