「オシャカになる」 の由来
物事がだめになること、作り損ねた不良品、使い物にならなくなったもののことを我々は「オシャカになる」といいます。
カタカナで書いた部分が主でありますが、この言葉の意味とこの単語どうにも結びつきませんよね。
そうなんです。
「お釈迦様」のことなんです。
実はこの「オシャカになる」と「お釈迦様」が由来で結びついているという
事実がスキャンダルされたので今日はそのお話。
■「オシャカになる」由来
「オシャカになる」の由来は江戸の鋳物職人の隠語から出た言葉なのだそうです。
阿弥陀像を鋳るはずが、誤って釈迦像を鋳てしまったことからといわれています。
そんな大きな間違い本当にするのでしょうかね。笑
このお釈迦様が無駄になってしまったのでしょう。ちょっと罰当たりな気もしますが。
もう一つ面白い由来がありまして、「火が強かった(しがつよかった)」と、お釈迦様の誕生日「4月8日(しがつようか)」を掛けた洒落というものがあります。
江戸訛りで「ひ」と「し」の発音が同じになるため、「火が強かった」→「しがつよかった」→「しがつようかだ」4月8日がお釈迦様の日→「お釈迦になった」ということだそうです。
この事には思い当たることがあります。
それは私の祖母。
祖母は江戸っ子なので正にこれなんです。
表彰状は「しょうしょうじょう」 ひょうきんは「しょうきん」
潮干狩りは「しおしがり」
んん、、かえっていい辛い・・
ただこの説は、あまりにも出来すぎた話で信憑性は薄いのだそう。
お釈迦様をダジャレにするとはこれまた若干罰当たり。
考えて見ると同様にいくつか思い当たります。
物事が駄目になることを「お陀仏」。
これは同じような連想で出た言葉と考えられえる。
博打などで無一文になることも「お釈迦になる」と言いますよね。
この「お釈迦」は、花祭りに水をかけられるお釈迦様のように、雨などで全身ずぶぬれになる事や裸にされるということから出た言葉だそうで、使い物にならなくなったこの場合の意味とはまた別物と考えられます。
出所はどうあれこうした類似点を総合してみると、どうもネガティブな発送に置き換えられるのは、「滅する」とか 「死」とか「滅ぶ」とか仏が死を連想させることからかもしれません。
きっと日本独特の考え方といえるのではないでしょうか。
葬式仏教が言葉まで生み出すとは驚きですね。
此の世を棒にふりし男 - 2016年3月10日, 8:43 PM
オシャカになるとは、我見ですが、本来人間は小悪人で、その枠を越えて大悪人、すなわちその人は大善人にもなる。要するに日本人的スケールの小さい小善人と過信している人が、枠の広い自分のコントロールのきかない人、じゆうむげの人が日本人の組織に合わないとねたむので、オシャカ様を侮辱して、価値のないものをオシャカになると言うと考えます。此の世とあの世はまったくぎゃくです。死んでから後悔しないように、
匿名 - 2016年8月23日, 4:26 PM
鋳物の説は、もともと知ってましたが、誕生日説は初めて知りました。
僕も、「釈迦=何の役にも立たないゴミクズみたいな存在」が由来だと思っています。