「未曾有(みぞう)」 の由来

「人類史上未曾有の大事件」
そんなこと本当にあるんですかね。
私は未曾有を連発したり、軽々しく使う人をあまり好みません。
でも若干羨ましく感じたりします。
その意味が、「いまだかつてないこと。きわめて珍しいこと。」という、ピーターパンや一寸法師や最近ならアバターのような未知の体験的な神秘性を秘めていたり、また、漢字三文字で使うとちょいとだけ頭がよく見えるからかもしれません。
そんなことを言い出すからきっとこうなるんです。
「想定外」
だから私に未曾有という言葉は馴染みません。

東日本大震災やそれに伴う原発事故。
政府や電力会社が口にしたのは「想定外だから我々のせいではない。」
それならアメリカのハリウッド映画はどうなるのだろう。
人類の滅亡に大災害にエイリアンに遺伝子組み換えによるミュータント想定どころではないでしょう。
人間の想像以上の映像がそこにはあるではないですか。
人間は絶えず脳に刺激を求めており、クリエイターはその欲求に答えようとその更に上の見たこともない世界を創造するのです。

そんな彼らを脅かす事件が起きました。
それは9・11同時テロです。
あれを想定外といったアメリカ人は果たしていたのだろうか?
いないでしょ。
なぜならそれはハリウッドで作られたたくさんの映画の一つ、
しかもCG時代なら低予算の部類に入るC級映画並みの映像だからであります。
タダ一つ違っていたのは、それがすべて虚構ではなく現実であったというだけ。
私自身もあれ以来ハリウッド大作から足が遠のいた一人です。
それだけ現実に置き換えられた空想世界並みの現象にはたくさんの見えないドラマがあり壮絶でありました。
そのことに今回気付かされたのは日本人ではないでしょうか。
しかし、まだ気付いてない日本人がいるようですよ。
それが想定外と言い切るエコノミックアニマルであります。
福島原発事故調査委員会の中間報告書をまとめた失敗学の畑村洋太郎さんは最後に、こうまとめました。

「想定」と「想定外」とは一体どのような含意を持った言葉だろうか。
「想定する」とは、考える範囲と考えない範囲を決め、境界を設定することである。
人間は物事を考えるとき、考える範囲を決めないときちんとものを考えることができない。
そこで、物事を考えようとするとき、どの範囲までを考えることにするかという境界を設定する。
この境界を決めた後は、その境界の内部について詳細に考えを進め、考えを作り上げていく。
それでは、境界はどのようにして設定されるのであろうか。
境界は様々な制約条件の影響を受けて定まる。
経済的な制約はもとより、社会的制約、歴史的制約、地域的制約等の様々な制約があり、その制約を満たすように境界が設定されていく。
これらの制約は、明示的に示されているものばかりではない。ど
こにも文言として明示はされていない、関係者間の暗黙の前提という形をとる制約も存在するということに注意が必要である。
一方、境界の外側については「考えない」と決めたことになるので、考えなくなる。
いったん想定が行われると、どのような制約の下にその境界が作られたのかが消えてしまう。
ことが起こった後で見えるのは、この想定と想定外との境界だけである。
境界がどのようにして決まったかを明らかにしなければ、事故原因の真の要因の摘出はできない。
今回の事故では、例えば非常に大きな津波が来るとか、長時間に及ぶ全交流電源の喪失ということは十分に確率が低いことと考えられ、想定外の事柄と扱われた。
そのことを無責任と感じた国民は多いが、大事なことは、なぜ「想定外」ということが起こったかである。
(畑村洋太郎 「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会、中間報告」505,506より引用)

はぐらかされているというか、いろんな方面に配慮して述べているのだろうけど私にとってこの話は非常に興味深く、単純に面白くて何度読み返しても飽きない。
更に皆さんも頭を悩ませるなら畑村先生の著書が良い。

「想定外」を想定せよ!―失敗学からの提言

このタイトルはすごい!しかも深い。
私の能力で言えることは、制約というものが想定を狭めており制約をつけて想定すること自体が無駄な想定ってことかな。
制約はあくまでちっぽけな人間の活動範囲で行われるものであり、大自然(地球)を想定するってことがそもそも無理。
まとめると不可能な想定。つまり「想定不能」なわけだ。
だからちっぽけな人間の「想定外」はただの言い訳なのでは?となってしまう。

■「未曾有」の由来

さてだいぶ話がずれたような気がしないでもないが、未曾有の由来を調べてみると、奇跡を意味するサンスクリット語の「adbhuta」が漢訳された仏教用語からきているのだそう。
「仏の功徳の尊さや神秘なことを賛嘆(感心して褒める)した言葉」なのだそうです。
それってすごく尊い言葉ですよね?
最初に書いた神秘性ってのも本来は近いところにあるようです。
不思議ですね。
我々の知る「未曾有」は悪い意味で用いることが多くないですか?
日本に入ってきたときには、漢字そのままに「未だ曾て有らず(いまだかつてあらず)」と訓読されて本来の意味で使われていたようです。
それが鎌倉末期になると転じて、善悪両方の意味で使われるようになります。
そして現代では悪い意味で用いることが多くなったとのことです。
無宗教国家の当然の流れなのか科学中心の文明に人々が汚染されすぎたのか、、
我々は人間は、ちっぽけな存在であることを今回の震災を機に見つめなおすべきではないでしょうか。
そして想定の範囲を超えるような科学は今一度立ち止まり、考え直す時期が来ている気がします。

世界はグローバルしすぎて狭くなってしまいました。
人類はこの狭い地球に70億人を超えました。
「人類の滅亡」という未曾有の危機も、私は最近身近に感じ出しました。
人類が目指すべき未曾有の世界は、「みんなが笑って暮らせる国」であってほしいものです。


失敗学のすすめ




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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