「脱原発依存」 の由来
理解できない言葉をテレビで連呼しています。
「脱原発依存」だそうです。
「脱」「原発」「依存」それぞれを分解して解説しますと、「原発」はもちろん、原子力発電のことですね。
「脱」については、もちろん皆さんもご存知のように外側を覆っているものを取り去ること。
ある枠や組織から抜ける、抜け出す、はずれること。
ある物から要素の一部を抜き取ること。取れて無くなること。
俗っぽさから抜け出ている。
あっさりとしてこだわりがないこととあります。
もちろん今回の場合で適切な解釈は、「ある枠や組織から抜ける」であります。
次に「依存」。
こちらがまた、聞いていてイライラする一つが「いそん」なのか「いぞん」なのかということ。
結果はどちらでもいいとのことですが、メディアでは統一がはかられていないようなのでなんともその度ごとに気になってしかたがありません。
「依存」は「依属(いぞく)」と同義語だそうで、他のものにたよって成立・存在することとあります。
依存が過ぎると現代人は心身症など心の病を発症します。
依存していた物を失うと心的不安定な状態に。
その様な自分を何処かで否定する事で、更に症状は悪化。
身体的異常に発展していきます。
ほら、更によくわからなくなってきました。
原子力発電以外に切り替えるという話なのに、「他に頼って存在する」という依存はいったいどこにかかってくるのか?
問題は前の「脱」と後ろの「依存」の関係性のようです。
「脱原発依存」とは、どういう意味なのでしょうか?
やはりこういった疑問を持った人は多いようです。ネットでも多数見つかりました。
その疑問の理由としては、「いくつかの解釈ができそうで、ごまかしているようにも受け取るではないか。」というもの。
確かに政治家っぽい言い回しですよね。曖昧で逃げ道があって、どうにも転べます。
同様の参考文もなかなか興味深いものです。
「〇〇への方向性は否めない」
行きたくないのか?行きたいのか?どっちだ?
「不信任案に反対する」
だったら最初からするな。てゆーか信任はしたくないのか?
「ある一定の時期をもって若い世代に引き継ぐ」
だったら今引き継げ。
また今回のケースは更に厄介であることが判明しました。
脱原発依存は「、」の区切り方次第で二つの意味を持つということです。
「脱、原発依存」であったなら原発依存することを脱する、つまり原発廃止。
まぁこれが本来の筋のはずですが・・・
もし反対に「脱原発、依存」だと、原発は反対だが、(ある一定の時期まで)依存となります。
代替エネルギーの促進と原発縮小を同時進行で行うという形となるのです。
そして最近新たな論争が巻き起こっています。
原子力発電所の再稼動です。
「動かすのか、動かさないのか」二つに一つです。
コンピュータによるストレステストの結果が出始めました。
斑目原子力安全委員長は、二次テストまでやらないと参考にならないと言い、政治家は地元の理解が得られれば政治判断で再稼動するという。
これらをまとめてみると、「安全性は確認されていないけど、とりあえず皆がよかったら動かそう。」ってところでしょうかね。
そもそも「脱原発依存」誰が最初に言ったかといえば、菅元首相。
2011年7月13日
「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」というものから。
しかし、なぜ「脱原発」ではなく「脱原発依存」なのか。
黒でも白でもなくかなりのグレー。
更にこの件について、野党の自民党に聞いてみたら決断は10年先送りだという。
そんな先に延ばしたら他の人に決められちゃうから政治家いらなくないか?
つまり、最近言われる「決断できない政治」がこの言葉に凝縮されているようである。
電力会社は再稼動できなければ電気料金を上げると国民を脅かす。
経産大臣は、原発の稼動にかかわらず、夏の節電はしないと断言しといて今度はいきなり地元の理解が得られれば再稼動させると言い出した。
やっぱりそっちなのか?もしかしたらはじめっからそっちなのか?
一体どっちなんだ?本当に安全なのか?きのこ食えなくなってんぞ?
「脱原発依存」の由来、
それは今の決められない日本人、責任の取れない日本人そのもののようである。
隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ
官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機 (光文社新書)
ばしくし - 2012年11月10日, 1:05 AM
そうですね。
「脱原発依存」って、どう考えても「脱原発」に「依存」する
って聞こえますよね。
意味不明。