「素晴らしい」 の由来

「素晴らしい!」
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本人は演じきってるつもりでも、周りはそれを見抜いているというケースはこの世の中にたくさん存在しています。
甥っ子が通っていた保育園の園長先生がそうでした。
満面の笑みのつもりで、最高の褒め言葉のつもりで、全身のアクションで表現しようと必死な光景が逆に失笑を誘っているのです。
親御さんはというと「目が笑ってないよね。」「心がこもってない。」「お金にはうるさいし。」
聞くに堪えない言葉の数々ですが、実際にその先生を見てみると仕方が無いのかなと思いつつ、気を抜いた瞬間の光る眼光の鋭さがそういった評価を更に肯定させてしまうのです。

「素晴らしい」
こんな褒め言葉を連発しても嫌味にならないのはテニスの松岡修造さんくらいではないでしょうか。(あれはあれで暑苦しい?)
せめてもっと言葉を選んではどうでしょうね。
最高の褒め言葉かもしれませんが、連発する言葉ではない気がします。
褒めるという言葉に感情があったなら、臨機応変な褒め言葉は他にあるはずです。
もし何が素晴らしいのか?と聞いてみたなら連呼している人はきっと全部素晴らしいと答えるのではないでしょうか?

「素晴らしい」意味は、とても優れている、この上なく好ましい、非常に良い。
通知票の項目止まりではないでしょうか。
我々の日常で用いる表現ではない気がします。
そのことを認識した上で上手に使いたいものですね。

■「素晴らしい」の由来

最初に私の頭に浮かんだのは、実は「みすぼらしい」でありました。
その語源を調べてみると、「すばる」という言葉がでてきました。
この「すばる」は「すぼる」とも用いられ、形容詞化した「すぼらし」が、「みすぼらしい」が語源だと考えられております。(すぼらしは、細く貧弱であるといった意味)
相反する表現でありながら、「みすぼらしい」と「素晴らしい」はこの「すばる」で結びつき、語源を共にするというのです。
「素晴らしい」は現代では非常に好ましいさまに用いられますが、近世の江戸ではそのような意味は無かったといいます。
「ひどい」「とんでもない」など全く異なる、望ましくない意味の方で使われていました。
成り立ちは、先ほどの「窄る(すばる)」が形容詞化されることからで、(窄るの意味は、狭くなる、縮まるなど)「すばる」が「すばらしい(すばらし)」となることで成立しました。
その「すばらしい」が接頭語の「す」と「晴らし」の語構成であると誤解されたことでその意味が転じ現在のような好ましいほうの意味になったのだそうです。

江戸時代であったなら、あの園長先生は「大変素晴らしい」限りです。


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著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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