「口コミ」 の由来
テレビ、パソコン、ラジオ、新聞、雑誌・・今の時代は様々な場所から情報を得ることができます。
あなたはどんな情報を信じますか?
新聞のコラム?
最近は「新聞の必要性」を肯定する記事ばかりが目に付きます。
公正・公平を貫けば自ずと読者は付いていくと思うのですが、最近はやや自虐的。
お気に入りのテレビコメンテーターの言葉?
ブームを無理やり引き起こそうとしている感がいがめず私は信じきれませんが。
2チャンネルの名無し投稿?
不安を煽っているだけで愉快犯に近く感じます。
ラジオのパーソナリティ?
確かにテレビよりはコアな情報が流れますが、顔が見えないものほど怖いものはない。
雑誌の見出し?
目を引くようなタイトルが羅列してありますが、かえって本物を見抜く力が必要に感じます。
そんな中、最近私が信用しているものの一つは「口コミ」であります。
本来、目の前の人あっての「口コミ」。
その相手の信用度あっての情報ですので、それまでのコミュニケーションも必要となります。
しかし最近では、それが評価やら功績やらの情報が追加されることで成り立つ、ネット上の口コミが増えているようです。
例えばブログであり、例えば流行のソーシャルネットワーク。
私が特に信用するのは、宿の格付け評価。
(あんなものがあったら私はサービス業やりたくないよってくらい的確)
具体的に、髪の毛が落ちていたとか、建物が老朽化とか、それに対する宿側の態度(謝罪・改善・お断り)まで書かれています。
一人の人の意見より、よりたくさんの評価や平均をだすことでより信用が増す。
そんな「口コミ」も時代なのかもしれません。
今日はそんな「口コミ」について。
「口コミ」の由来
どなたでも想像出来ますとおり、「コミ」はコミュニケーションからのようです。
そこに「口」をのっけたのは、ジャーナリストの大宅壮一さんという人だそうです。
1960年代頃から大宅さんが使い始めた造語なのだとか。
私は気づきませんでしたが、対比する言葉がありましたね。
それは「マスコミ」つまりマス・コミュ二ケーションです。
この二つの違いを比べたならば、やはり大きさなのでしょうか。
より大きく伝えるものと、一番小さな伝達方法といったところでしょうか。
しかし、現在では「個人が伝える情報」であれば手段を選ばない口コミですが、
大宅さんは分けていたようです。
口で語って伝えることを「口コミ」。
活字によるものを「手コミ」。
どちらかといえばこの二つを対比させていたようです。
伝える方法、手段により重きを置いていたということになります。
つまり造語でありながら現在の使い方は一人歩きしているようですよ。
これだけメディアが発展しながら、一番信用が置けるのが口コミ。
おかしな国ですね。
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