由来メモ

Archive for the '歴史' Category

「ピラミッド」の由来

「ピラミッドってなんであんなに大きいんだろうね。」
「それは・・死んだら何も持っていけないから自分の権力を見せつけるために大きく作ったんじゃないかな。」
「ピラミッドって何の意味があるんだろう。」
「それは・・死んでからの家だと考えるのが妥当だろう。永遠に住む家だから豪勢にもするし、使用人とかも一緒に生き埋めにしたんじゃないかな。」

質問に対して答えずにはいられない私。
知識だけでなく持ち前の洞察力でこういった感じで(適当に)切り返す。
でもよく考えて見ると、本当に生き埋めなどしていたのだろうか?
若干日本の前方後円墳や昔読んだ漫画の内容なんかも混じっている気がする・・まぁそこはご愛嬌で。

私は不思議なものが好きである。
ナスカの地上絵とかピサの斜塔とかマチュピチュ遺跡とか・・
もちろんピラミッドも憧れの一つだから少しは詳しいつもり。
大きくなったら何がしたい?って中学校の卒業文集では「ピラミッドの見える砂漠でゴルフがしたい。」と仲間達と共にしょうもないことを書いたもんだ。
もちろん未だ砂漠に行ったこともなければゴルフもやったことはない。

■ピラミッドのこと

ピラミッド (Pyramid) は、エジプト、スーダン、エチオピアなどに多く見られますが、中南米などにもあるのだそう。
四角錐状の巨石建造物(同様の形状の物体も)の総称である。
石または煉瓦(れんが)を積んで作られていることが多い。
中南米にもあるというのは初耳。
それは現在のメキシコ・中央アメリカ北西部とほぼ重なる地域でメソアメリカ文明というんだって。
メジャーな言葉に訳すとマヤとかアンデス文明を大きく括ったもののようだ。
確かにタレントの憧れの場所的な番組で見たことがあった。
昇りやすいように階段があって確か頂上はエジプトなどと違って平らだった気がする。
あれもピラミッドの括りだったか・・
メソアメリカ文明のピラミッドは、墓や天文台として造られた物もあったけど、基本的には神殿として建設・使用されたんだって。
だから生きた人間が上り下りしたり頂上で儀式をするためのこの造りとなる。
一方、我々のよく知る古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置。
山頂はもちろん尖っているからやはりお墓のよう。
こちらは逆に使用勝手よりビジュアルを重視したようで王が天に昇る階段としての役割や、(死後の魂が空高くみたいなこと?)その斜めの外形が太陽光を模したものであるとも考えられている。
それとデカイ。
どうやって造ったのだろ?

ヘロドトスの「歴史」においてピラミッドは、奴隷の築いた王墓とされてきたが、1990年代に入ってからギザの大ピラミッド付近から建造に関わったのではないかとされる住居跡と墓が見つかったんだって。
さらに豊かな生活物資や住居人のミイラ(身分が高くないとミイラにはされない)が発見されたことなどから、奴隷でなく専属の労働者がたのではないかという考え方が今の支流。
また、ピラミッドに興味を持った人の永遠のテーマなぜあれほど高いものが建設できたのか?についても建設に関する労働者のチーム編成や作業記録が文字で残っていることから高い建築技術を持った専門の技術者がいたらしい。
ピラミッドやさん??匠?

■ピラミッドの語源

ピラミッドの語源は諸説あって確定できないそうですが、有力なものとしてギリシアで三角形のパンを指すピューラミス(πυραμ??; *pyramis*; ピラミス、ピラムスとも)に由来するのではないかという説が最も有力なのだそう。
当時からパンはあったのですね。しかしパンとは・・
南米の神聖な感じとは一線を画しているようだ。まぁ後づけでしょうね。
ちなみに古代エジプト語では「クフ王のピラミッド」として有名な世界最大のギザのピラミッドに「昇る」という意味の「メル(ミル、ムルとも。ヒエログリフでは△と書く)」という言葉を当てていたらしい。
これも以外に単純ですが、言葉も劣っていたでしょうしこんなものでしょうか。
劣っているから短かったとも言えなくもないしね。
私がつけるなら・・シュガートーストかな。色も形も砂糖が砂にも見えるしね。
やっぱりパンだけど・・

投稿者 としお カテゴリ 宗教,建物,歴史 コメントなし

「城(しろ)」の由来

城(しろ)とは、敵に攻め込まれた際の防衛拠点として設けられた構造物のこと。
男なら誰でも興味はあるはず!とは私の思い込みでしょうか?
私は小さい頃から非常に興味がありました。
チャンバラごっこ(死語?)の延長から歴史などに興味を持ち、学校で社会の授業でならった歴史から好きな戦国武将ができます。
私は上杉謙信でした。
そして戦略や生き様などを調べるために現地に赴きたくなります。
しかし、剣や鎧甲冑などではいまいち気分が盛り上がらないのです。
想像・妄想が膨らまないのです。
そこで「男」は城を目指します。できれば実際に中に入れる場所。
さらに欲を言えば天守閣まで登り、己の平定した領土を見渡すのです。
数百年前同じ景色をその城の主は見ていたのです。
そうやって皆、大人に男になっていく・・はずです。

私のお勧めの城をご披露しましょう。
宮城県白石市の白石城です。
仙台藩の伊達氏の支城で明治初頭の廃城令により廃城処分となりましたが、1995年に木造で復元され、現在は公園となっています。
散策しましたがなかなかの見ごたえです。
是非お見知りおきを。

城の由来

現在では「城」という字を訓読みで「しろ」と読みますが、かつては「しろ」という大和言葉は存在しなかったという意見があるのだそうです。
古代から中世初期までは、「城」のほかに「柵」という字も用いていたようで、ともに「き」と呼ばれていたのでした。
たとえば、大宰府のそばにある大野城は「おおののき」であり、山形県の出羽柵は“いではのき”でありました。
しかし、延暦13年(794年)11月15日に「やましろ」と訓じられていた山背国が山城国に改名されると、「山城」という語を「やましろ」と読むようになります。
その後、山に城を造って領国を守る時代が訪れ、中世後期には「城」は「しろ」と読まれるようになったのでした。
文明6年(1474年)の『文明本節用集』には、「城」に“シロ”の訓がある。

なぜ城は少ないのか

最後に私の素朴な疑問。なぜ城は少ないのか。
戦国時代などには各地の大名がそれぞれの城を、将軍にでもなろうなら、一人でいくつもの城を構えていたのです。
全国津々浦々相当数があったはず。
なのに現存するものは限られています。それはなぜなのか。
それは明治時代1873年(明治6年)に布告された廃城令というものによるのだそうです。
破却や管理放棄に伴う焼失、更には大日本帝国陸軍による資材の接収による崩壊などが進んだのでした。
城跡には引き続き役所が置かれたり、新たに公園や神社が設置されたことが多かったようですが、主要都市ではほぼすべての城跡に大日本帝国陸軍が駐屯しました。
それら駐屯地となった城跡は、太平洋戦争(大東亜戦争)中に米軍の標的とされ、空襲や原子爆弾等により、名古屋城、岡山城、和歌山城、広島城などの戦前に国宝(現在の重要文化財に相当)として指定されていた天守や櫓、門など、多くの現存していた江戸時代以前の城郭建築が損失してしまったのです。
なんてもったいないことを・・とはいえそれも歴史ですね。
確かに馬で移動していた時代では、「おお なんと大きい!こんなしろ攻略できるのだろうか?」だったのでしょうが、飛行機から見れば「ああ。あれが攻撃の目標〇〇城だ。」となるわけです。

にしても想像・妄想は膨らみます。
この見える景色はすべて私のものだ。このすべてはワシのものだ。
そんな気持ちに浸れるのが城なんです。
でも天守閣に上ると少し考えます。ちょいと生活は不便かな。
高層ビルと違い、夏はエアコンがないので暑そう。
エレベーターがないので移動はもちろん階段。
自分の足で登らなければなりません。
あんまり書くと夢やロマンなくなるのでこのへんで・・・

投稿者 としお カテゴリ 建物,歴史 コメントなし

「おやかたさま」の由来

大河ドラマ「江 ごう」を観ていました。
織田信長の姪御の話であります。
家来には豊臣秀吉、徳川家康ら、豪華な顔ぶれがひかえ、信長をこう呼ぶわけです。
「おやかたさま」と。
もちろん私は「親方さま」だと思いながら観ているわけです。
当たり前のように。

スマップ中居さんのバラエティ番組を観ていました。
メイド喫茶を訪れるといった企画です。
入場料を払い入店。
席について接客を受け、見渡すと秀吉の大阪城並に金色で満たされた個室を見つけます。
更に入場料を2500両(2500円)払うとその個室で特別待遇になるという。
そこでメイドが中居さんに問い直す。
「お屋形さまいかがなさいますか?」字幕が出たので間違いない。
こんな漢字であった。
屋形船の屋形である。
更に黄金の部屋に通されると「殿様」と呼んでもらえるらしい。
渋ったふりをしながらも個室へ移動する中居さん。
会計時にはなんと「ご出陣なさいますか?」と聞いたりする。
全く現代のサービス業ってやつは斬新でよくできている。
いや話の論点はそこではない。
おやかたさまの漢字は「親方さま」ではないのかという点である。

「親方」について調べてみると、

大工の棟梁など、大相撲における年寄りの敬称、フリーメイソンの階級の一つ。
そして、我々のよく知る「弟子を持ち、師匠の立場で監督・指導するもの」といった意味である。
なるほど。
徒弟制度ならまだしも、時は戦国、下克上。
いくら敬意を払っていても、明日には上下がいれかわるかもしれない。
それを象徴しているのが「本能寺の変」なわけで、武士の間での「親方さま」は成り立たないのかもしれませんね。
というか理屈でなく別の漢字が存在するのでしょう。

それが、「御屋形様」(おやかたさま)もしくは「御館様」となるわけです。
ということで屋形はひとまず置いといて「館」については、武家の棟梁(「家系の棟梁」という意味)は、その「家」を代表・統率・存続することに責任を負います。
言い換えれば「棟梁=家」ともいえるわけです。
棟梁は家=館を代表するものです。ですから「お館さま」となるわけです。
ということですが、一族が一つなら問題ありませんが血族ではない家臣達がこう呼ぶと違和感がありますよね。

そこでもう一つの「御屋形様」の登場です。
この呼び名は室町幕府成立以降にできたそうです。
なぜかといえば、足利将軍家が関係しております。
「屋形号」というものがあったそうで、これは将軍から与えられたのです。
当初は将軍のみが諸大名に対する免許権を持っていましたが、後に鎌倉公方である足利満兼が関東の諸大名に免許をだしたことで将軍・鎌倉公方による免許制となりました。大盤振る舞いですね。
屋形号は室町幕府でも守護以上の身分で遇される足利一門や、代々有力守護であって幕府の重職につく家や特に功績ある家柄、また、室町幕府の建設に功労ある家柄に許されたとか。
室町幕府滅亡後は、織田信長が大宝寺氏に屋形号を免許したという歴史があるそうです。
織田信長が鷹を献上してきた返礼として大宝寺義氏に対して屋形号を授けたとのこと。
つまりは、天下人の大名優遇策として用いられたようですね。
今の叙勲みたいなものなのでしょう。
我々のよく知る「屋形船」も「お屋形さま」からの流れかもしれませんね。
てっきり屋根がついてるからだと思っていましたが・・
「お屋形様」は家臣が認めたものでなく、将軍が認めた地位である。
これは大きな認識の違いでした。

投稿者 としお カテゴリ 歴史,言葉 コメントなし

「アウストラロピテクス」の由来

たまには長い名前の由来を調べてみよう。
そんな考えから浮かんだのが「アウストラロピテクス」。
小学校の社会では登場するのは??ですが、中学校の最初の歴史では間違いなく登場する、この最初の人類。
すごく名前が長くて、覚えるのは困難か?と思いがちでも、いざとなるとすんなり入ってきたりする不思議さん。
きっと地名なのだろうとか、どうせ発見者の名前でしょとか
そんなことは置いといて、今日は人と猿の間の秘密に迫ります。

「アウストラロピテクス」とは?
哺乳類霊長目ヒト科の猿人。
生まれはアフリカ。
時代は約400万年前から約200万年前であります。
身長は120cmから140cmくらいで、脳みそは現人類の約35%程度の約500cc。
今で言えば限りなくチンパンジーに似ていたようで、骨格から二足歩行で直立して歩く能力を持っていたのないかと考えられています。
よく言われる人間の特徴、言葉を話す、火を使う、道具を用いるのうち、最後期には、石器らしき道具を使っていたようです。
そんな「アウストラロピテクス」もちろん実際に生活していたのを
見ていた人は誰もいないわけで、その時代の地層から痕跡を見つけ出すわけです。

「アウストラロピテクス」の由来
1924年、南アフリカに住んでいた解剖学者レイモンド・ダートさん (Raymond Dart) が、スタークフォンテインという洞窟で人間とも猿ともつかない動物の頭蓋骨を発見したのでした。
これをもし自分が発見したと置き換えてみると、ものすごく恐ろしいことですね。
実際に反響もものすごかったらしく、人間とサルの中間のような生物が人類の祖先と主張されたことが創造論者に大きな衝撃を与えたのでした。
もちろんダーウィンの進化論はすでに発表されていましたが、依然「聖書」を否定する動きに対して反発が大きかったのは安易に想像できますよね。
ダートさんのもとには、「お前は地獄の業火で焼かれる」とか「お前はそのおぞましい化物を自分の子として生む」といった脅迫が数多く寄せられたそうです。
そんな抽象誹謗レター、メール、掲示板の書き込みにも負けることなく彼は、前かがみ気味に直立二足歩行していた人類の祖先のものであると考え、「南の (Australo-) 猿 (pithecus)」という意味の「アウストラロピテクス・アフリカヌス」という名前でを1925年に学術雑誌『ネイチャー』に発表するのでした。

ちなみによみやすさから「アウストラ・ロピテクス」と区切ってしまうが、正確には「アウストラロ・ピテクス」。アウストラロが南のを意味します。
名前の由来は何てことない、南の猿だったわけですが、発見した当時は大変なことだったですね。
今分かっている当たり前のこと、地球は丸かったか、ヒトは猿だったとか・・
これからもそんな事実に立ち会える機会はあるのでしょうか。
例えば月の裏には本当にうさぎがいたとか・・ね。笑

投稿者 としお カテゴリ 歴史 コメントなし

「カンコー学生服」の由来

学問の神様、菅原道真公について調べていたんです。
学問てことは、頭がいいってことですよね。
私の知るところ昔の人でそれに該当するのは、何人もの話を一挙に聞くことが出来るという聖徳太子さんなわけです。
もちろん言い伝えだから確証はないんですがね。
菅原道真公はそれ以上ってこと??

菅原道真さんプロフィール
承和12年(845年)6月25日生まれ 平安時代
職業・貴族・学者・漢詩人・政治家
この肩書きはすごいですね。
官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
このへんはよくわかりませんが、「太政大臣」ってのは上から3本くらいだった気がします。かなりエライ人なはず。
大宰府へ左遷され現地で没する。
ヘマやらかしたのでしょうか??
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
みんな余程の罪悪感があったのでしょう。

天神とは?

雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられました。
火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとしたのです。
以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられました。
こうして、「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることとなります。
やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い、道真が生前優れた学者・詩人であったことから、
学問の神として信仰されるようになったのでした。後付けだったのですね!めでたしめでたし。

いやまだ終わらないです。

1000年以上前の話でありながら、いくつか興味深いことを見つけたのです。
一つは子孫のお話。
そこには、前田利家、大隈重信、菅直人と時代時代の主役の名前が記されていたんです。
もちろん、「血を引く」というのは一代前でもその単純濃度は50パーセント、三代前なら12・5パーセント。
しかも菅原道真公は子沢山だったようなので、現代までくると100年で3代と数えても30代以上。
その縁者の総数も1000いや一万はゆうに超えていると考えられます。
また今の総理大臣が血を引いてるってのも・・・ちょいとできすぎな気もしますが。 笑
まぁそれでも子孫も優秀なのでしょう。それに昔は同等の身分で縁組したので、自然に優秀な遺伝子が集まってきていたのかも知れません。

そしてもう一つが遅ればせながら本題。

カンコー学生服。

菅原道真公と何の関係が?
誰しも一度はお世話になる(毎日着ることになる)学生服。
皆さんはどこの会社のものを着用していましたか?
私はまさにこのカンコー学生服でした。
これは実は「カンコー(菅公)学生服」と書くのだそうです。
学問の神様として親しまれ、勉学に励む人の象徴的存在である道真公(菅はオン読み)にちなんで名付けられたそうなんです。
もちろん当時、「菅公」が同様の学生服を着ていたなんてことはありません。
でもそこには、着用した子供たち、児童、学生さんの学問への願いが込められているのです。

余談ですが、文具メーカーにも菅公工業(かんこうこうぎょう)という会社があるそうです。
こちらも同様の由来ですが、二つの会社に関連はありません。
カタカナで表記されると、それほどピンときませんが、漢字をみれば一目瞭然!なのかもしれません。
その昔、怨霊として崇められていた人物の名が、現代では堂々と衣服に掲げられている。
なんだか不思議な気分です。
もしかしたらそれもご供養なのかもしれませんね。

投稿者 としお カテゴリ ファッション,人名,歴史 コメントなし