「維新(いしん)」 の由来
最近世間を賑わせている「維新」という言葉が気になりました。
江戸から明治にかけては、日本の変革の中でもたいへん大きな意味を持っていて、幕末の志士の名前の認知度からしてもそれは明らかであります。
日本では単に「維新」と呼ぶ場合、明治維新(めいじいしん)を指すことが多いわけですが「維新」と付けられた思想、名称は日本だけでなく他の国にもたくさんあるのだそうです。
例えば阮福晃の治世で用いられたベトナム阮朝の元号(1907年~)が維新 (阮朝)。
大韓民国の大統領朴正煕が標榜した政治スローガンは維新体制。
大正改元時に、新宗教大本教の出口王仁三郎が唱えた政治的宗教思想は大正維新。
昭和維新、世界維新戦争、平成維新などなどたくさんの維新が存在し、新世紀維新といえば、かの小泉純一郎首相が提唱。
そして今、世間をににぎわす橋下徹の大阪都構想に基づいた政党「大阪維新の会 」と時代の流れは繋がっているようです。
■維新とは
そもそも明治維新(めいじいしん)とは・・・
江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制への転換とまた、それに伴う一連の改革のことを言います。
その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策などなど・・・
といったように広い範囲あらゆる事項にわたり、日本を東アジアで最初の西洋的国民国家体制である近代国家へと移行させたわけです。
さて時代は流れて・・・比べるのも変ですが、現在の大阪維新の会はというと・・・
西の大都市大阪から地域分権と地域活性化を目指すといった改革。
二つを並べてみると、大きさの違いをだいぶ感じるのですが、それについては「維新」という言葉の由来についても考えてみなければなりません。
■維新(いしん)の由来
維新(いしん)とは、「変革」の意味を持つ言葉なのだそうです。
それはなんとなくわかりますよね。和訓では「これあらた」と読むとのこと。
新しく何かを始める改革案といった感じで理解すればいいのでしょうか?
日本での最初は天保元年(1830年)で、水戸藩の藤田東湖が藩政改革への決意を述べるとき、「詩経」の一節である「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」を引用したことにはじまると言われています。
その少し前、安永8年(1779年)平戸藩主である松浦清が藩校を設立した時に学校名を「維新館」と名付けたのだそう。
それに対して幕府は「(倒幕の意思を示すようで)維新とは不穏当」と問い詰めたそうですが、その後も変更はなかったといきます。
どちらにしても、この時代に「詩経」から用いられたのが最初のようです。
たいそうに聞こえても、それほどのことはない。
いつの時代も体制をひっくり返そうというときに「維新」は用いられてきたようです。
さて今日は総選挙前ですが、一時の流行であった「維新」に逆風が吹いております。
改革風の逆風が吹いているのです。
半年ほど前の勢いはなりを潜め、第三局から四局にも五局にも後退しそうで見ていられません。
戦国時代や幕末もこういった感じだったのかもしれません。
明日はわが身、一寸先は闇、そういった言葉が脳裏をかすめます。
まだまだ時代の混迷は続きそうです。
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