「ふがいない(腑甲斐無い/不甲斐無い)」 の由来
なんて自分勝手なのでしょうか。
オリンピックの話です。
我々は参加する選手達の日ごろの努力など知りません。
参加するための費用もマイナー競技ほどかき集めるのは困難で、寄付を募ったり、スポンサー探しに練習時間を奪われたり、たとえメダルを獲得したとしても、他国ほど高額の報奨金も貰える事はなく、それでも世界一とかメダルを目指してアスリートたちは果敢に挑むのです。
我々といえば、普段から注目されているアスリートならいざ知らず、彼ら、彼女らのことは、競技の間の選手達の紹介VTRやメダルを獲得してからの、美談などでしか目にすることはなく、それも、記憶にとどめるのはオリンピックの開催期間中だけであります。
なのになのになのに、メダルに勝手に一喜一憂して「勇気を貰った」とか「感動した」などと口にするのです。
なんて自分勝手なのでしょうか。
そう前置きしておいて今日の本題に入らせていただきます。
「ふがいない」です。
それはロンドン五輪男子サッカーの日本代表です。
初戦でスペイン代表を完封し、最高のスタートを切りましたが、準決勝でメキシコに敗退し、三位決定戦では韓国に0-2でメダルも逃しました。
聞けば韓国は人参作戦に出たといいます。
年齢がが23歳以下に設定されている男子サッカーの韓国代表選手は(三人まではすべての年代から選べる)これから徴兵制で長い期間を過ごさなければならないのです。
それが日本からの勝利によって免除されるというのです。
更に更に直前には大統領の突然の竹島訪問。
政治的な揺さぶりにもこの一線が絡んでいるように見えます。
確かに、韓国といえばえ「永遠のライバル」といった印象を受けますがことサッカーにおいては、実力差がつき始めています。
その相手に、そしてメダルのかかった大一番に・・・
よもやの惨敗・・・選手達には申し訳ありませんが、サッカーはプロの競技である以上「ふがいない」
私はその言葉の印象どおりの感情しか出てきません。
もちろんそれだけ期待していたという気持ちの裏返しでもあります。
■「ふがいない」の由来
「ふがいない」は、当然「不甲斐ない」と書くものだと思っていましたが、どうやら「腑甲斐無い」という選択肢もあるようです。
この場合は、「年甲斐も無い」と同様の表現となります。
「頼り甲斐が無い」、「努力したかいが無い」なども類似となりますね。
つまりこの場合「不甲斐ない」という表記については、否定的な意味から「ふ」は「不」であると誤解されたのが始まりと考えるようです。
最後に「ない」と否定しているのですから、確かに「不」を最初につける意味はないかもしれませんね。
その辺がもしかしたら「ふがいない」が腑に落ちなかった原因かもしれません。
腑甲斐無い・・・肝っ玉があっても何にもならない。だらし(が)ない。
「腑」については、「腑抜け」などでも分かるように「はらわた」や「臓腑」のことを意味します。
「肝」に「努力」や「気力」といった意味があるように、「腑」は底力を出すときに力を入れる場所と考えられています。
更に「腑」には、「心」や「考え」を意味するのだそうです。
ただ、こちらの腑も不も当て字であるという可能性も否定できず、「ふ」を深く追求した場合、具体的役割はよく分からないというのが、穏当な判断のようです。
「かい」の語源については、「甲斐」からで「かひなし」の甲斐と考えて間違いないようであります。
学界の通説としては、現代語の「代える・替える」に相当する四段動詞「替ふ(かふ)」の名詞形である「かひ」から来たとすることが有力となっています。
つまり、「代わりになるもの」「替えることのできるもの」から「価値のあるもの」となり、転じて「効果」「効き目」という意味になったというものです。
江戸時代の「片言」という解説書には「云ふ甲斐なし」の省略であるという考え方もあるそうですが、これも参考程度のようですね。
このように曖昧な「ふがいない」は、現代社会では失われつつあるようですが、今日の私の心の中の最良の表現方法でありました。
さて、次は女子バレー三位決定戦。そして相手は・・・またも韓国。
世界ランクは日本の5位を大きく下回る15位だが分が悪いと聞いた。
ただ、真鍋ジャパン発足後は12勝1敗と圧勝しているらしい。
ほんと勝手なんだけど・・・期待してるぜ!
ロンドンオリンピック総集編 2012年 8/30号 [雑誌] (週刊朝日増刊)
最近のコメント