「わざわざ」 の由来
「本日は、お忙しい中わざわざおこしいただき~」
親戚のおじさんがお通夜の席の挨拶で述べた言葉。
もちろん喪主であるおじには、事前にホールからの挨拶文が渡されていたのでメガネを直しながらおじは一度も顔を上げることなくそれを読み上げた。
何度も何度も繰り返されるその場面だが、毎度毎度主役つまり読み上げる人は変わる。
まさかそのカンペに誤りは無いはずなのだが、私は一点がとても気になった。
それは「わざわざ」である。
どうも私はこの言葉が苦手。
私には「わざわざ」がイヤミのような、迷惑っぽい言い回しに聞こえてしょうがないのです。
同様に考えた人の疑問に対していくつかの回答を見つけたのでそれらを集約して紹介する。
どれも肯定的な意見ばかりだ。
頂き物などをお隣にお裾分け。するとお隣さんは「わざわざありがとうございます」となる。
やはり持ってきて良かったと思うだろうからこの返答が嬉しいという。
「わざわざありがとう」という言葉は、普通ならそこまでやらなくてもよいこと、やらなくても他の人もだれも非難しないことなのに、自分のためを思って「わざわざ」やってくれて、本当にあなたの行為に対してありがたいことです、という意味と受け取るからなのだろう。
そういった人から見れば私のようにイヤミととる人間は日本語の意味がわかっていないように見えるらしい。
わざわざは、ついでではなくそのためだけにという感じなので、私のためにご迷惑をお掛けしましたという意味が込められているから嫌味なはずがないというわけ。
ただ、「状況はわかりませんが、ふつうのお礼言葉です。」という意見も見つけました。
ここなのです。私が言いたいのは。
普通のお礼言葉なのはわかるのですが、それが葬儀の席にあうのだろうかということ。
当家としてはきていいただいた方に、へりくだってお礼の言葉を述べているつもりだろうが果たしてその「わざわざ」といった気持ち、それを目当てに来てくれたという表現が葬儀の場まで必要だろうかという考え方。
また、着飾った言葉を述べるその場所で「わざわざ」はさばけ過ぎではないかと感じるのです。
私が考えすぎなのかもしれませんが、ご意見ございましたらコメント欄にお願いいたします。
■そんなわけで「わざわざ」の由来
「わざわざ」の由来は古語の「わざわざし(態態し)」からなのだそうです。
もともとは現代語で言う「わざとらしい」など、あまり肯定的な意味ではなかったよう。
「意識的に何かをすること」が「態(わざ)」だと考えると分かりやすい。
そういったことからか、現代語の「わざわざ」には、この元の意味から来る「わざと。故意に」など、否定的なニュアンスを含む場合と、それとは反対に「ことさら特別に」という肯定的な使い方の両方があることを忘れはならない。。
またこの「態々」は労をねぎらって感謝の気持ちを伝える言葉となっているため、日本では伝統的に「目上の人をねぎらうのは失礼にあたる」という風潮があることも苦慮が必要ではないだろうか。
「わざわざ~ありがとう」という感謝の表現を目上の人に使うと・・・違和感がないですか?。
更に「わざわざ取り寄せた」「わざわざ来たのに…」などのように自分の行為に使う場合もあるが、こちらも、何かのついでではなく、そのためだけに行ったことを言っているわけでそういった言い方は時と場合によっては、他人が聞くと少し嫌味でもあり恩着せがましく感じることもあるのかもしれない。
このように「わざわざ」はさまざまな意味を含んだ言葉であり、人によって捉え方も変わってくるので、気持ちが素直に伝わらない場合があり得るのではないだろうか。
従って使用時には注意が必要であり、公の場合ではなるべく回避すべきだと私は考える。
匿名 - 2019年11月26日, 3:22 PM
「わざわいとさいわい」
https://japanese.hix05.com/Language3/lang315.wazawai.html
言語学者の大野晋先生は、「わざ」という言葉は神意の現れをさして言った言葉だと推論した。
との記事を見つけました。
そうだとすると、「わざわざ」とは、「神」がわざわざ何かを為す、畏れ多いことなのかもしれません。