「ゴミ」 の由来

「ゴミ」 の由来についてまとめたエッセイです。由来だけ手っ取り早く知りたい人は下のほうまで飛ばして読んでね。

「ゴミ」とは、物のくず、不要になった廃棄物。汚い屑。漢字では「塵」や「芥」。
そんな解釈は当たり前なのだろうけど、私にはその境目がよく理解できない。
買い物に行き、必要なものを買う。
すると、包装紙やらレシートやらビニール袋やらその必要な一つを取り囲む品々がもれなくついてくる。
家に帰り開封すると、それらは一つずつ剥かれて、処理され、片付けられて「ゴミ箱」へと処理されていく。
必要なものが不要へ変わる瞬間だ。
鮮やかな転身である。
それらの品は、袋に入れて収集車に引き取れらてゆき焼却され最終的に埋立地へと運ばれてゆく。
どうにも儚い一生だ。

■ゴミの由来

ゴミは、主に農家で「木の葉」をあらわす言葉だったと言われている。
このことは、各地の方言で見て取れるのだそう。
例えば、長野県では木の葉を「ゴミ」、落ち葉を「マツゴミ」と呼ぶところがあるらしい。
愛知の方言では落ち松葉を「ゴ」と呼んだり、京都では「ゴを掻く」といった表現もあるそうだ。

ただ、「ゴミ」が木の葉以外の意味にも使われはじめたため「ゴ」と呼ばれるようになったのか、逆に元々「ゴミ」は「ゴ」と呼ばれており、「ゴ」の「実」という意味で「ゴミ」となったのか定かでないとのこと。
また歴史をたどれば、鎌倉前期の「平家物語」では「水田のごみ深かりける畔(あぜ)の上に」とあり、ドブなどに溜まる泥をさす言葉として使われていたのだそうだ。
このことはドブに溜まりやすいものの代表として、「木の葉」を意味していたとも考えられる。
「塵(ちり)」や「土ぼこり」のことをさすようになったのは近世以降で、その頃からゴミは不要な物であることから、「取るに足らないもの」「役に立たないもの」などの意味として使われはじめた。

今日の由来は非常に分かりやすい。
昔の人にとってのゴミは、木の葉以外にはありえなかったのではなかろうか。
物がないから何度も何度も繰り返し大切に使い、更に他の使用目的に転用してなくなるまで使い続ける。
昔の文化には「循環」という考え方があったのだ。
木の葉とて、肥料にしたり暖をとったり、更に灰を利用したりと循環の一部として活躍していた。
もしかしたらゴミという解釈は「焼却処分する」といった考え方から生まれてきたのかもしれない。
落ち葉も昔の人は家の前で焼き、更にその場で不要なものは一緒に焼いたはずである。
焼くことで体積を減らし、片付けるという考え方だ。
少し前までは、ビニールやナイロン系、プラスチック系の物を焼くと発生する有害物質の存在が認められていなかったから、ゴミ収集に出さずに自宅で焼却処分していた家庭も多いはずである。
いつしか「ゴミ」は「取るに足りないとか役に立たない」といった都合のいい解釈に変わってしまった。

私はゴミを再利用するという考え方が大好きである。
ゼロと考えられていたものが、1 2 5 10 といった数字に変化する。
そこには限りない創造性が必要とされるからだ。
誰かに必要の無いものは誰かが必要とするもの。
生み出した一つ一つに命の存在を認めてみてはどうだろう。
本来、日本人てのは、そういった生き方の得意な世界でも希少な存在だったはずである。


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著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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