「節句」 の由来
四月に入ってドライブに出かけると所々で鯉のぼりを見かけます。
もうそんな時期なのですね。
五月五日は端午の節句、男の子の節句です。
ところで、この「節句」という聞きなれない言葉が気になります。
調べてみましょう。
節句は伝統的な年中行事をおこなう、季節の節目となる日のことだそうです。
古くは「節日(せきにち)」といわれていました。
「節供」とも書いたそうです。
やはり節目(ふしめ)の節なのは間違いなさそうですね。
江戸時代には現在の祝日に当たる日が五日しかなかったそうです。
今は増えすぎですね。それに・・
昔はすべて意味のある日が当てられていたはずなのですが、現在はご都合主義で第〇月曜日とかが多いですもんね。
「今日は休みだけど何の日?」
どうにかならないものでしょうか。話がそれそう・・
その五日が「五節供」と呼ばれ重要な日とされていました。下記参照。
- 正月七日、七草の節句「人日(じんじつ)」
七草粥を食べ邪気をはらう日です。 - 三月三日、桃の節句「上巳の節句」
雛祭り人々に親しまれる女子の節句。 - 五月五日、菖蒲の節句「端午の節句」
立身出世を願い、兜飾りや願いのぼりを飾る男子の節句。 - 七月七日、たなばた「七夕の節句」
中国から伝わったとされる星祭りが元。 - 九月九日、菊の節句「重陽の節句」
菊の花を飾り、丘に登って邪気をはらう。
一桁、奇数、ぞろ目・・何かあるのでしょうか??
現在も休みとして残っているのは五月五日だけですね。
それも「こどもの日」ですから特別男子の日ではない気がします。
こう調べてみると、祝日を伝統の日と決め付けるのにも違和感を感じますね。
それはこの五日に中国の影響が見られるからであります。
暦の影響なのでしょうか?
そんなわけで暦の歴史を調べてみます。
暦は中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わったそうです。
やはり初めは中国からのよう。
日本最初の暦が作られたのは604年飛鳥時代のこと。
意外に古いんですね。
皆さんご存知のように暦には、太陽の動きで決める「太陽暦」と、
一月の長さを月の動きで決める「太陰暦」があります。
またこの二つを併用した「太陽太陰暦」というものがあったそうです。
これを日本では明治5年まで利用していたそうで、これを一般に「旧暦」と呼んでいたそうです。
現在は太陽暦で「新暦」との呼び名で分けられていますよね。
太陽太陰暦なんてものがあったんですね。
それは知りませんでした。しかし、西洋・東洋のいいとこどりともいえるこの暦では必ずしも中国重視とは言い切れないですね。
つまりは、日本の風習と中国からの暦の混ざり合った結果って事なのでしょうかね。
農業の合間の節目節目に自然に感謝する。
その時、自然から直接力を頂戴したり身を清めることで無事健康や、何事もなく収穫できるようにお祈りした。
って感じでいかがでしょうか。
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