「牛耳る(ぎゅうじる)」 の由来
組織を自分の思い通りに動かすことを牛耳ると言います。
言葉を使うことはありますが、漢字が「牛耳る」だとは夢にも思いませんでした。
その由来はというと、古代中国に遡ります。
諸侯が同盟を結ぶとき、その中心人物である盟主が牛の耳を割くのです。
何に使うのか・・・
同盟関係を結ぶ各々はその血を吸います。
そうして組織への忠誠を誓うのです。
盟主は、牛の耳をとることによって、改めて組織の中心人物になること周りに顕示するのです。
このことから組織の盟主となることを「牛耳を執る(とる)」と言うようになり、転じて組織を思い通りに動かすことを「牛耳る」と言うようになったのだそう。
「血」というものは誓いの時に東洋西洋問わず使われていたようですね。
日本でも血判状というものがありました。
誓いの文章に署名し、その誓いの強固さの表れとして指を切り自らの血液で捺印するのです。
血縁関係という言葉がありますが、骨肉の争いという言葉もあります。
大河ドラマなどを観ると、有力者はさらなる力を求めてより大きな力を持つものと縁談を勧めるのは自然な流れです。
ある意味ではお互いに人質を取るようなもので、世の中の形勢が変わっても遠く離れていても、お互いに味方でいることを確認する上で血縁関係が結ばれると考えていいのではないでしょうか。
しかし世間とは非常なもので、最終的には己の身を守る為に血縁ですら裏切るといった場面が登場するのです。
そしてお互いに殺し合い、骨肉の争いとなるのです。
こういった流れは日本では比較的最近まで残っていたように見えます。
家柄や身分で娘を嫁にやるといったやり方です。
この場合お互いに得となるような縁談になるので、同等の身分の中で取り交わされます。
今の世の中の大半の皆さんにとっては考えられないことですね。
人の心とは様変わりして当然かもしれません。
そんな中で結束を確認する為に、血判状のような特別な方法でお互いの意識とその深さの確認がなされたのでしょう。
確かに書面上のことであり、破棄するのは簡単です。
しかし、現在の契約時でも有効となる血印が引き継がれていることを見てもその契約の絶対度は疑いの余地がないかもしれませんね。
私は親戚に恵まれていません。
各々が自らの家のことしか考えておらず、血縁とか親戚同士助け合うといったことからは無縁に育ちました。
本当にあの人たちと同じ血が流れているのだろうか?
子供の頃から何度も問いかけました。
容姿、能力、苗字などは近いところにあるかもしれませんがたかだか一代違う血が入っただけでも考え方は大きく異なるものです。
彼らが私の判を求めても応じることはないでしょう。
彼らがお金に困っても助けることはないでしょう。
時代は変わったのか・・・それだけ自由になったのか・・・
自らと一番近い血を受け継ぐ子供や親を平気で殺してしまう時代。
血の持つ意味は薄れつつあるのかもしれません。
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