「野次る(やじる)」 の由来
国会中継を観ました。久しぶりに観ました。
そしてすぐに消しました。
今まで観なかった理由にすぐに気づきました。
その原因を忘れるほど長く観ていませんでしたから。
それは・・見苦しい野次です。
いい歳の大人、しかもそれぞれが地域の何万、何十万の国民の支持を受けた国会議員がなぜあのような相手の話を切るような野次を発するのでしょうか。
最近のマイクは高感度なので、テレビの前の我々でも一語一句逃さず聞き取ることができます。
その内容も次元の低い・・答弁の許されていない人が一番目立っていたり・・
政治のレベルの低さを浮き彫りにしている感すらあります。
まぁ、それが華、それが醍醐味、それが仕事と言われれば納得せざるおえません。
まぁ、居眠りよりはましですかね。
今日は「野次」について。この言葉もあまりいい印象はありませんね。
私のイメージでは、偉ぶっていたりどうにも手の届かない世界の人間に対して一般人がその些細な間違いを面白おかしく皮肉るといったものであります。
語源にもそのようなエピソードが見られるのか非常に楽しみです。
野次るとは、他人の言動にに対して、大声で非難したり冷やかしの言葉を浴びせかけることを言うそうです。
その語源は、「野次馬」の馬を省略し動詞化したことからだそうです。
漢字では「野次る」や「弥次る」と表記されますが、どちらも当て字だそうです。
「弥次る」・・野次馬の最初は弥次郎さんだからとか?
そんなわけで「野次馬」も調べてみなければなりませんね。
野次馬とは・・物見高く集まる人のことであります。
また、自分に関係ないことを面白半分に騒ぎ立てる人のことだそうです。
野次馬は、老いた馬を意味する、「親父馬(おやじうま)」からきたのだそうです。
言葉としてはすごく納得ですが、なぜ親父なのでしょうね。
老いた馬は仕事に使えません。
同様に使えない馬がいます。
それは、暴れ馬です。
そこで「やじ馬」は暴れ馬もさすようになったそうなのです。
更に使えない馬たちが、何も役にたたないという意味に転じ、自分とは関係ないところで無責任に騒ぐ人をさすようになりました。
更に更に、物見高く集まる人もさすようになったと。
これが野次馬の由来です。
他にも「やんちゃ馬」が転じたという説もあるそうですが、「やんちゃ」は子供のわがままさを意味することや、
「親父」を「やじ」という例が以前から存在するという事実から、前の説が有力なそうです。
馬にまつわる由来で気になったものをついでにもう一つ。
「じゃじゃ馬」について。
「じゃじゃ」とは、邪邪は当て字で、「いやじゃ、いやじゃ」の略だそうです。
もともとは馬に対して使われた言葉で「じゃじゃを踏む馬」が語源です。
こう書いてみて気づいたのは自分とは関係ないところで無責任に騒ぐという点から「野」はもしかしたら「外野」ではないかということです。
外野から自分に関係ないから無責任に騒ぎ立てる。
そう考えればやはり国会の野次は慎んで欲しいですね。国の大事を論じているのですから。
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