「紅葉狩り(もみじがり)」 の由来
今年も素晴らしい季節を迎えています。秋です。
あの暑さから一変。
心地よい秋の風が吹き、木々は最後の力を振り絞り枝にしがみつきながら我々に様々な色のグラディエーションを見せてくれます。
ところで昔から気になっている言葉があります。
それは「紅葉狩り」です。
採取するわけでもなく、触れることもなく楽しむのになぜ「狩り」なのでしょう。
■「紅葉狩り」の由来
どうやら「狩り」の成り立ちにその秘密があるようです。
「狩り」は、もちろん私たちが現代も使う、獣を捕まえるという意味からきています。
それが、獣より小さな野鳥や小動物にも用いられるようになり更に果物などを採取する意味にも使われるようになったのだそうです。
確かによく考えて見ると「ぶどう」や「いちご」にも「狩り」が使われていることに気付きます。
それが更に発展して、草花を眺める場合にも用いられるようになったようです。
そのように発展した理由の一つには、狩猟をしない貴族の登場があげられるといいます。
彼らは、自然を愛でることに「狩り」を用いたのです。風流ですね。
謡曲に「紅葉狩り」という演目があるともいいます。
ただ、実際に手にとって紅葉を代表とする草花を眺めるという姿は現代でも無きにしも非ずで、そういったことからも
「狩り」が用いられてという説も否定の必要はないでしょう。
ただ、なぜ秋の紅葉は狩りで、春の桜は花見なのかという疑問は残ります。
それは桜はやはり見るもので、酒や宴に忙しいといった春の喜びと実りの季節を偲ぶ、秋の静けさの違いなのかもしれません。
どちらも日本らしく素晴らしい文化ですから、特に統一する必要も無いかもしれません。
■補足
「もみじ」(旧仮名遣い: もみぢ)の由来
もみじの名は、秋口の霜や時雨の冷たさに揉み出されるようにして色づく、「揉み出るもの」の意(「揉み出づ」の転訛「もみづ」の名詞形)からなのだそうです。
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