「鯉のぼり」 の由来
実家に私の鯉のぼりの旗竿が残っています。
蔵の軒下に括られたその長さは10メートルも後半。
その重さを考えると、どうやってそれを立てたのか、また倒したのか、運んだのか当時のことをおもうと非常にロマンを感じます。
日本では男の子が生まれると、武者人形や旗のぼりがあげられお祝いします。
その中でも一番豪華で大きく、お金がかかるのが鯉のぼりといえましょう。
ある意味では見栄かも知れません。子どもの記憶に残ることはそれほどなく、大きくなってから写真で確認する程度。
笑い話ですが、私の体験では屋根より高い鯉のぼりが泳ぐ姿より家の中で鯉をくぐった思い出の方が残っています。
でもなぜ鯉なのか?子供のころから抱いていた疑問の答えを今日見つけました。
「鯉のぼり」がどこからきたか
端午とは、五月の初めの午(うま)の日という意味。
つまり定まってはいなかったのです。それがいつのまにか五月五日に固定、理由はわかりません。
端午の節句は、奈良時代から行われている古い行事なのだと言います。
当時は、災厄を避けるための行事が行われる重要な日だったのだそう。
軒に菖蒲やよもぎを挿したり、菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉の薬玉を柱に下げたり・・・
きっとその切れやすい特質から「破る」にかけていたのでしょう。
鎌倉時代にもその風習は引き継がれ、武家の間から菖蒲と尚武をかけてこの日を大切にしていたようです。
江戸時代になると、端午は幕府にとって重要な日と定められ、大名や旗本は江戸城に出仕し将軍にお祝を述べたといいます。
俗にいう参勤交代ってやつですかね。
将軍に世継が生れると、城中にたくさんの幟や作り物の遣り、長刀、兜などを立ててさらに盛大に祝いました。
江戸中期になるとそんな武家を見習い、庶民の間で鯉の滝登りで立身出世を祈る風習がうまれました。
これは中国に古くから伝わる登竜門の伝説からきたといわれています。
竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込めたものです。
また男の子が生まれたことを天の神様に伝え、守っていただくという意味もあったのだとか。
なるほど、だから天からも見下ろせるように高く高く飾るわけですね。
当時はさすがに和紙に鯉の絵を描いたものだったようですが、大正時代に破れない綿の鯉のぼりが誕生。
更に昭和の半ば頃になると、雨にぬれても色落のしない合成繊維の鯉のぼりが誕生します。
そして時は流れ現代、100円ショップでも購入できる手ごろなものに。
もちろん元ネタ、中国からの輸入物?でしょうかね。
というように、人々の願いと中国の伝説が一致して鯉のぼりが生まれたのです。
鯉がのぼるように立身出世する、すべての男の子はそんな願いを受けて生まれてきているのですね。
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