「ビリ」 の由来
私は負けず嫌いです。
恐ろしいほどの負けず嫌いです。
人生でビリになったことは高校に入学して最初の数学のテストだけです。
勘違いして出場したスノーボードの大会では、限りなく最下位に近かった実力でしたが一本目のジャンプでノーマルな飛び方をすることで着地を完璧に決め100人の参加者の中で順位は真ん中辺りに滑り込みました。
二本目はできもしない技に挑み、見事日の丸特攻隊のように玉砕しました。
これも作戦といえばそうかもしれませんが、まぁ要するになるべく下の順位になりたくないから、ちょっとだけズルをしたわけです。
そんな私だからビリの気持ちというのがよくわからないということに今更ながら気がつきました。
考えてみれば、勝負事があれば必ず敗者というものが存在するのです。
小学校の運動会で、仲良し二人が手を繋いでゴールするといったことが問題になることがあります。
順位をつけないといった優しさもそこにはあるのかもしれません。
しかし、世の中はいつも優劣をつけて仕事をするように出来上がっています。
学校に入るのも競争、給食のおかわりも競争、一番勝者と敗者がはっきりするのは相手が一人しかいない恋愛であるのかもしれません。
いつも最下位で満足していたらその先の人生はどうなっていくのでしょう。
■「ビリ」の由来
この、紙が破り捨てられるような擬音のような言葉が、なぜ最下位をあらわすのでしょうか。
非常に不思議でなりません。
その由来は、不確定ではありますがよく言う「びりっケツ」が示すように「尻」が関係しているといわれています。
「尻」が転訛することで、「ひり」となり「びり」となったというのがその説です。
確かに体のなかで一番下、食べたものが最後に行き着く場所といった観点から「しり」がその喩えとされるというのは我々も納得できるのではないでしょうか。
「ビリ」という言葉は、江戸時代の歌舞伎でも見られたそうです。
「最下位」の意味のほかに、お尻のイメージから「男女の情交」や「女性の陰部」も意味していたようで、そこから転じて遊女や女郎を意味し、またそれらの人を罵る言葉としても存在していたようです。
他にも、「屁を放る(へをひる)」の「ひる」と「尻」が混ざることで「尻」が「ひり」となり、「ビリ」となったといった説もあるようですが最初の説に比べるとそのインパクトは低そうです。
「しり」に「けつ」に「びり」どれも歯切れのいい言葉ですが、その箇所の役割からどれもいい印象がありません。
しかし、敗者がいるから勝者が目立ち、入り口があったら必ず出口が必要なのです。
なんのフォローにもなっていませんが、たまにはビリをかってでてもいいのかななんて思い直しました。
いつも勝者であることだけが人生に必要なことではないと最近は思うからかもしれません。
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